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ひーろーかーずー♪

加藤博一さんが亡くなられました。

2年前ぐらいに、レギュラー司会(木曜)を務めていた「プロ野球ニュース」(CS)を一時期休んでいたことがありました。そのときに「病気をした」ということをネットなどで目にしてはいましたが、昨年は中継解説を務めることもあって、「病気も治ったんだ」と安心していたところでの訃報。
そこまで悪いとは思っていなかっただけに、「えっ!」という驚きと、残念な気持ちがいっぱいです。

加藤博一選手というと、すぐに「スーパーカートリオの……」という紹介のされ方をしますが、実はスーパーカートリオがフルに機能したのは、実質1年半だけでした。
1985年は、高木豊 42盗塁(打率.318)、加藤博一 48盗塁(.280)、屋鋪要 58盗塁(.304)と、文字通り「スーパーカー」並みの活躍を見せますが、翌86年に入ると、屋鋪選手が絶不調、そしてシーズン中盤の加藤選手の怪我によって、2年持たずに自然解消されてしまいました。

しかしその後も、加藤選手の存在は、大洋にとってなくてはならないものだったことは間違いありません。
ムードメーカーとしての役割はもとより、驚くほど手薄な当時の大洋代打陣にあって、本当に数少ないヒットを期待できるバッターとして、勝負強いバッティングを見せてくれました(ほぼ代打専門となった最後の3年間の平均打率は.271。これは代打としては結構いい数字だと思います)。

その後、解説者となってからの活躍については、大洋(阪神)ファンのみならず、多くの野球ファンの記憶に残っていると思います。
なお8年前、まだHPをやっていた時に、そのなかで「プロ野球解説者批評」というコンテンツを設けていたのですが、恥ずかしながらその時の加藤博一氏へのレビューを下記に載せたいと思います。

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現役時代、苦労してレギュラーをつかみ、レギュラーをはずれてからもしぶとく自分なりの工夫で長い現役生活を送ったせいか、その実体験に基づいた解説は説得力がある。選手がミスをしたり、少し気のないプレーをしたりする時、「今のプレーはダメですね」という解説者と「今のはこれこれこういう理由でミスをしたんですね」という解説者がいるが、加藤氏は後者である。しかも、ミスの理由をふまえた上で、そのプレーの是非(しょうがないミスか、油断によるミスか)を話すので、非常に好感が持てる。
しゃべり口調は、必ずしも「解説者」といえる話し方とは言えないかもしれないが、素人解説者(って俺も含まれるか?)を養成しがちな解説者が多い中で、実際にプロ野球を経験した選手ならではの意見を言う解説はいいと思う。
課題は、はずすことの多いギャグはとりあえず置いといて、フジでの横浜戦の放送の時、横浜の事に話が傾きがちなところぐらいか。 【2000.9】

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田代選手、山下選手といったところが下降線を辿り始めた(そして落ちる速度も速かった)頃に大洋ファンになった自分にとって、加藤博一選手は、ファンとなって応援した一番初期の頃の選手ともいえます。
その後も、現在まで大洋(横浜)ファンを20年以上続けてきたわけですが、そのなかで「加藤選手の存在」があってファンを続けたという部分は決して少なくないと思います。

現役を退いて解説者になってからも、絶えずベイスターズに熱く、そしてときに厳しい意見を言ってきた加藤博一さん。

ご冥福を祈るとともに、2008年、そのエールに応えるような戦いぶりを、横浜の選手たちには見せていってほしいと思います。


追記:なかなか実現するのは難しいとは思いますが、「プロ野球ニュース」のメンバーでもいいですし、当時の大洋・阪神のOBでもいいので、追悼試合をやってくれないかなと思ったりもしますけどね…。
Commented by sokotsuan at 2008-01-22 06:07 x
スーパーカートリオってそんなに実働期間が短かったんだ。
当時は近藤監督の命名センスもどうなのかなあと思っていたのですが、今となると名前のインパクトは強かったと言わざるを得ませんね。
56歳とは若過ぎですね。ご冥福を祈ります。
Commented by momiageyokohama at 2008-01-22 23:48
そうなんです。実はスーパーカートリオの実働時間は短かったんですね。逆にそれでも後世に名を残したということは、それぐらいインパクトがあったということなのでしょう(もしかしたら、大洋がその後しばらくみんなの印象に残るような選手を輩出できなかったことの裏返しかもしれませんが)。ちなみに、3人合計で148盗塁というのもすごいですが、最多三塁打(5本)を3人で分け合うという記録も残しています。
実は翌年も、加藤選手自身は成績はよかったんですよね(シーズン打率は.317)。ただ、怪我によりシーズン中盤から欠場(75試合の出場にとどまる)してしまったのは、かえす返すも残念でした。ちなみに、西鉄時代は6年間で打数はわずか1(出場3試合)、その後移籍した阪神でも2年間は打数1、打数6と、数字だけ見ると、まさに苦労人を地で行っていたような野球人生だったんですね。だからこそ味のある解説ができたのかもしれません。
Commented by 木村拓也の後輩 at 2008-01-27 12:04 x
CSプロ野球ニュースに復帰した際の顔色が黒ずんでたり(黄疸だったんでしょうね)、ベイスターズ対カープの試合で行われたイベント「カープ黄金バッテリー(川口と達川)対スーパーカートリオ」で牽制アウト(つまり走らなかった)という結果だったりと、大病を患っているであろうことは察してはいましたが・・・・・・。
稲尾さんが亡くなったのもかなりショックだったけど、博一さんが亡くなったのも同じくらいショックです。
お葬式で改めて顔の広い人だったんだな~と思いました。
ご冥福をお祈りいたします。
・・・・・・支離滅裂ですみません。
Commented by momiageyokohama at 2008-01-28 00:58
>木村拓也の後輩さん
コメントありがとうございます。
明るい人が亡くなるのは、逆に結構くるものがありますね。
現役時代も印象深いですが、高見の見物的な解説ではなく、あくまでも実際にプレーする選手の視点を大事にした解説も心に残っています。
一部報道もありましたが、できれば追悼試合もやってほしいですね。
by momiageyokohama | 2008-01-22 02:40 | 横浜ベイスターズ | Comments(4)

「読んだ方が野球をより好きになる記事」をという思いで、20年目に突入。横浜ファンですが、野球ファンの方ならどなたでも。時折、ボクシング等の記事も書きます。/お笑い・音楽関連の記事はこちら→http://agemomi2.exblog.jp/


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