あれは8年前…
2007年 01月 31日
で、展望についてですが……。
まだしばらくお待ちください(^^)。
話は変わりますが(強引)、この前ついに、98年の横浜ベイスターズ優勝を記録した「GOT THE FLAG」のビデオを買ってしまいました。
実は、数年前から買おうかどうしようか迷っていた(発売は98年)のですが、過去の栄光にすがるのもよくないなと思い(^^)、あえて買いませんでした。
しかし、ここ5年で4度の最下位と、あの80年代の弱小時代にもなかった事態に、ついに我慢できなくなって購入してしまいました。
内容自体は、トピック的な試合を順番に追っていくという流れで、あまりドキュメント的な要素は盛り込まれていません。ただ、8年も前の映像ということもあって、新鮮な感じを受けます。
何が新鮮かって、監督が権藤さんなのが新鮮(^^)。
38年ぶりの優勝の立役者にもかかわらず、監督を辞めた後は横浜とほとんど関係を持っていないので危うく忘れそうになりますが、そう、あの時の監督は権藤さんだったのです。
権藤監督だったことを忘れそうになる大きな要因が、その後の横浜の監督の変わりっぷり。
ちなみに、横浜が優勝した翌年の99年から2007年までのセ・リーグ監督の移り変わりを見てみると、
〔ヤクルト〕 若松 → 古田
〔巨 人〕 長嶋 → 原 → 堀内 → ( 原 )
〔中 日〕 星野 → 山田 → 落合
〔阪 神〕 野村 → 星野 → 岡田
〔広 島〕 達川 → 山本 → ブラウン
〔横 浜〕 権藤 → 森 → 山下 → 牛島 → 大矢
となり、横浜がいかに監督人事で迷走しているかがわかります(唯一の監督5人。続く4人の巨人も、原監督が二度やっているので、人としては3人)。
さて、ビデオの内容自体に戻って、やはり懐かしさを感じさせてくれるのは、あのマシンガン打線です。
1番の石井琢選手から下位打線まで、まあよくもまあここまで打つなあと感心するぐらい、右打者も左打者も、中距離打者もコツコツ当てる系のバッターも、そしてレギュラーも代打も、挙句の果てには野村投手を筆頭にピッチャーまでも、ヒットの山を築き、切れ目のない打線っぷりを見せてくれます。
レギュラークラスは3割近く打って当たり前。下位を打つ谷繁・進藤選手に関しては2割5分前後の打率であるものの、ここぞというときはタイムリーを打ってくれるし、スタンドに放り込む力もある。併用となった、佐伯選手と中根選手はどちらを出しても打つ。さらに、荒井選手、井上選手といった代打陣も打線をつないでくれる……。
とにかく隙の少ない打線で、優勝した98年は100本塁打で642得点と、148本塁打で635得点の巨人を抑えてリーグトップ(チーム打率は.277で1位)。さらに翌99年は、チーム打率.294を記録(もちろん断然リーグトップ。2位は巨人の.265)、得点も711得点で2位の巨人に100点近い差をつける、という信じれないぐらいの打ちまくりっぷりを見せてくれました。
それこそ、この頃の横浜は、3回ぐらいで0-5でリードされていても、それこそ7回を終わって5点差あっても、「もしかしたら逆転してくれるんじゃないか」という期待感がすごくあったし、本当に逆転してしまう試合を幾度となく見せてくれました(相手チームのファンはたまらなかったと思います)。
また、98年の横浜といえば、当然「ピッチャー…………、佐々木。」のシーンが多くなりますが、意外とランナーを出しているんですよね。
ただし、たとえ甘く入ったとしても、ストレートの回転のよさで長打は許さない(ちなみの98年の被本塁打は1本)ピッチングを続け、結果的に防御率0.64と、「絶対的ストッパー」の役を務め上げてくれました(なお、ボール自体を考えると、佐々木投手が一番凄かったのは1995年ぐらいだと思うのですが、その辺は、また折を見て書く機会があれば)。
とにもかくにも、すべての歯車が噛みあったように思えた98年の横浜。
その中でも、打線の好調さについてはその当時毎年続いていた傾向ではあったので、やはり防御率3.49にまとめた投手陣の活躍が、6球団の一番高みに上ることができた最大の要因かもしれません(なお、権藤コーチ就任前の96年の防御率は4.67。さらに優勝の翌年の99年は、4.44に急降下)。
いまや、98年当時のメンバーで、今も横浜でプレーしているのは、バッターでは石井琢選手、鈴木尚選手、佐伯選手、ピッチャーでは三浦投手、川村投手だけです(移籍組では、谷繁選手、斎藤隆投手がいますが)。
それこそ数年後、「優勝経験者がチームに誰もいない」という状態にならないためにも、大矢監督、そして選手・コーチともども、今年は結果を出さなければいけない年なのではないでしょうか。
追記:上の記事を書き終わったところで、横山投手がいたことを思い出しました。
一度はクビになった身。前回の横浜在籍時には1年しか発揮できなかった「小魔神」ぶりを、是非とも見せてもらいたいと思います。