谷繁捕手、2000試合出場。
2006年 07月 27日
これは、捕手では、野村選手(南海etc)、伊東選手(西武)、木俣選手(中日)に次いで4人目だそうです(全野手では36人目)。
谷繁選手のプロ入りは、1988年の大洋ドラフト1位。
江の川高校から「強肩強打」という触れ込みで入団(甲子園でも活躍)、プロ1年目からスタメンに名を連ねました。
しかし、当時の谷繁選手の印象は、あまり芳しいものではありませんでした。
「強打」という評判で入団したものの、やはりプロの世界ではまだまだ非力。シーズン打率.175という成績(154打席)が示すとおり、打撃に関してはほとんど期待できない選手でした(当時は、今と違って低打率のキャッチャーがたくさんいる時代ではありましたが)。
その後も打撃の向上はあまり感じられず、2年目も.175。3年目以降も、.237→.191→.234→.228と、あまり上向きの兆候は見られませんでした。
キャッチャーとしてのプレーに関しては、正直そんなに印象に残っていないのですが、佐々木投手のフォークが捕れず、佐々木投手が(谷繁選手が受けるのを)嫌がったというのは、よく言われる話です。
ただ、当時のチームの層の薄さもあって、1年目から4年目までは70~80試合に出場、5年目・6年目には2年連続で100試合以上出場するなど、徐々にレギュラーの座を確実にしつつありました。
しかし、7年目の95年に、再び出場試合が100試合をきります(当時ずっと併用されていた秋元選手はこの年101試合出場)。正直、「いつになったら谷繁はレギュラーに定着するんだろう?」と懐疑的な気持ちも大きくなっていました。
そんななか、96年、ついに今までの成績から大きく飛躍を遂げます。2度目の規定打席到達で、打率.300(8本塁打、54打点)という成績。
と同時に、そのあたりから、キャッチャーとしてのプレーぶりも「あっ、変わって来たな」と思うようになりました。その象徴的なものが、頻繁に行うピックオフプレーです。
ピックオフは、実際にランナーを刺す可能性はほとんどなく、その割にはリスクもはらんでいるという点で、なかなか勇気がいるプレーだと思います。しかし、そんなプレーを頻繁にやるようになった谷繁選手を見て、「よほど自分の肩に自信があるんだな(コントロールも含めて)」と思うとともに、今までの大洋(横浜)ではなかなか見ることができなかった「攻めのプレー」というものを感じるようになりました。
以降は、横浜ベイスターズ不動のキャッチャーに。
さらに、FA移籍した中日でも、リード面を含めその実力をほぼ如何なく発揮しているように見えます。
なお、谷繁選手が移籍したのは、2002年。
当時の横浜の監督は森監督でした。
横浜在籍時代、一部のファンからはウケが悪かった森監督ですが、自分は決して悪い監督だとは思いませんでした。
ただ、ちょっと失敗したかなというのは、谷繁選手を引き留められなかったという点。
FA→メジャー挑戦→断念→中日へ移籍、という道を歩んだ谷繁選手ですが、メジャーを断念したにもかかわらず横浜に残らなかった理由には、「(中日で)レベルの高い投手たちの球を受けたい」という気持ちとともに、「自分のリード観は確立している」と思っていたところへ、森監督がリード面についてあれこれ言ってくることがうっとうしかったのではないか、と推測するのですが……(あくまで推測です)。
谷繁選手が抜けた穴はそう簡単に埋まるものではなく、その後、横浜が暗黒期に入ってしまったのは、谷繁選手退団の影響が非常に大きかったと思います。
いずれにせよ、昨年も盗塁阻止率.436を記録するなど、まだまだリード・肩の面では、プロとしてのプレーを見せ続けている谷繁選手。
今シーズン、終盤になればなるほど、そのプレーの1つ1つがさらに重みを増していくのではないでしょうか。



























