改めて球団に問われる「監督交代」の意味 -横浜DeNA 2021シーズン 3分の1を終えて-
2021年 05月 25日
さまざまな人たちの尽力により開催できることとなった2021シーズンが始まってから2ヶ月が経った。
交流戦を前にしての、横浜DeNAの成績は、12勝29敗6分け。
5位の中日と5.5ゲーム差、3位ヤクルトと10.5ゲーム差、そして首位の阪神と16.5ゲーム差の最下位である。
月別で見ると、
3月 … 0勝4敗1分け
4月 … 6勝17敗3分け
5月 … 6勝8敗2分け
となる。
3・4月のDeNAは、とにかく負けた。
開幕時点で、新外国人選手のみならず、ソト・オースティン・エスコバーら昨年から在籍していた外国人選手も合流の目処が立たずということで、ある程度の苦戦は想像していたが、これほど負けるとは思っていなかった。
開幕して1ヶ月ほど経った4月第4週終了時点で、わずか4勝(19敗4分け)という勝敗は、TBS時代の暗黒期でもなかったのではと思える負けっぷりだった。
しかも、弱さの内容が変質していったのも、先行きを暗くさせた。
開幕当初、ソト・オースティン不在で心配していた打線は予想外に活発だった。ただ、投手陣が失点を重ねた。試合中盤5点差をつけながら、結局11-11の引き分けに終わった4/1のヤクルト戦がその象徴的な試合だろう。
そのうちに、打線も鳴りを潜めていった。4月9日の阪神戦から4月22日の中日戦までの12試合は3得点が1試合あるだけで、あとはすべて2得点以下という惨状。1試合の平均は、わずか1.17点だった。
しかも、ソト・オースティンがスタメンに名を連ねるようになってからも、状況は好転しなかった。逆に、契約が理由なのか、両選手が二軍での調整をせずに一軍に合流したことで、ブレーキにもなってしまった。見方を変えれば、公式戦が、まるでオープン戦の調整の場となっているようにも見えた。
状況が少し変わってきたのは、野手陣から少し遅れて、エスコバーら外国人投手が一軍に合流し始めた4月下旬から。ようやく戦える体制が整い始め、カード勝ち越しもできるようになってきた。
しかし、5月中旬からは、試合終盤に追いつかれたり、打線の拙攻が目立ったりする試合も多く、勝利のペースは再び落ちている。
チームの成績が落ちれば、当然というべきか、監督の責任を問う声も出てくる。3・4月のあまりに負けが込む戦いぶりに、ラミレス監督の復帰について書くスポーツ記事すら見られた。
振り返って、確かにラミレス監督は、チームの弱い面をなるたけ見えないようにすることに長けた監督だった。
2019年の序盤に10連敗を喫したことはあったが、それ以外は、チームの状態がよくない時でも、3タテをくらうことだけは阻止しようと、見える部分見えない部分で、策を講じており、チームの大型連敗を回避していった。
その意味では、三浦監督の3・4月は、チームの状態の悪さや出場した選手の実力不足を、そのまま試合に出してしまった側面があった。
外国人投手の合流の遅れ(結果的には、野手より投手の遅れが痛かったように感じる)という緊急事態はあったが、結果の出ない入江を4連敗するまで起用したこと、石田の勝ちパターンから外すタイミングは、判断が遅れたと言えるかもしれない。
田中俊、戸柱ら打率が上がってこない選手の起用も、打線にブレーキをかけた。
オースティン、ソトの調子が上がってきたことで、一時よりは戦力も上がってきたが、柴田・倉本が離脱しているショートの選手起用、まったく盗塁数の増えない「足」攻の部分、大貫のたびたびの序盤KOもあり柱が不在の先発投手陣、安定していた山﨑・三嶋が打たれる場面が目につき始めたリリーフ陣と、短期・長期いずれも、考えていくべき課題が山積している。
今回のラミレス監督から三浦監督への監督交代。
この交代で思い出されるのが、権藤監督から森監督への監督交代である。
1998年、監督としての初年度に、リーグ優勝、そして日本一まで勝ち取った権藤監督。
その後の2年間も3位とAクラス入りを果たした。ただ、優勝争いには絡めなかった。また、サインを出さない野球に対して、選手たちが不満を感じているという報道もあった。
結果、2000年で権藤監督は退任。
その権藤監督の後に就任したのが、黄金時代の西武を率いた森祇晶監督。
森監督については、それこそ、権藤監督就任よりもさらに前の時代から、スポーツ紙に「横浜監督就任か」という記事が出たこともあり、いわば、球団にとって長年の悲願だったようにも思われた。森監督を招くことで、「細かい野球」をチームに浸透させ、常に優勝争いできるチームに。そんな思いがあったと思われる。
しかし、結果はそうならなかった。就任初年度は、この年、勝率ではなく勝利数で順位を決めたこともあって3位に滑り込んだ。ただ、ローズ退団を受け、獲得したドスター・ズーバーの両外国人選手はいずれも小粒で、外国人野手の部分では大きく戦力ダウン。
また、先発投手陣が序盤に崩れる試合が多いこと、また安定した中継ぎ投手が数少ないという事情はあったものの、来る日も来る日も木塚を登板させる采配(69試合で90 2/3イニング)に、「長い目で見ての起用」ではなく「目先の勝利を掴むための起用」をする監督なのか?という思いもよぎった。
そして翌2002年、チームはダントツの最下位に沈み、森監督はシーズン終了を待たずして、チームを去った。
そして、今度は森監督とは真逆のイメージの、明るい、そして、伸び伸び野球を標榜する山下大輔監督を招聘した。
結果は、2年連続の最下位。特に1年目は勝率.324(45勝94敗1分け)と、1960年代以降では、チームワーストの勝率だった。
森監督が成績を残せず、退団となったとき、「横浜には細かい野球は合わない」という意見が数多くあった。しかし、以前、『「横浜・大洋・DeNA」35年史』でも書いたが、個人的には、この見方に違和感があった。
「本当に、細かい野球が合わないから、チームは弱体化したのだろうか」。その思いが消えなかった。
その後、いくつかの記事や本で、大堀隆球団社長らが、森監督の就任について、「目指す野球が、前任の監督とあまりに違い過ぎた」と振り返っているのを見て、ようやく腑に落ちた。
権藤監督自身が、「自分のあとにやる監督は大変だよ(笑)」といったことをコメントしているのを見て、さらにその思いは強くなった。
結局のところ、「細かい野球」云々というより、「監督に求めるものの『ブレ』」が、その後長きにわたる低迷を招いた一因と言えるのではないか(もちろん、外国人野手の獲得力の低下、谷繁の退団、親会社内部の問題なども、要因としては大きいが)。
球団として、それぞれの監督に対して、「こういうチームを作ってほしい」という考えはあったのだろうが、その監督がうまくいかなかったから今度は真逆のチームビジョンを、と監督が変わるたびに、方針がころころ変わっては、選手もチームも落ち着いていかない。
話を2021年に戻す。
権藤監督から森監督に代わった当時と今で大きく違うのが、監督の責任範囲だと思う。
昔は、成績のすべてが監督の責任という見方がされたが、各球団がGM制度を取り入れている今、戦力面の責任者、現場の戦術・起用面の責任者という役割分担により、成績に対しての監督の責任範囲は、以前より狭くなっているように思う。
その意味では、三浦監督のコメントにおいて、「勝敗の責任はすべて自分に」というニュアンスのコメントが多いのは、少々違和感がある。
ただし、三浦監督が他の同リーグの監督と比して、その手腕が高いかということになると、現時点の成績・内容を見ると、そうとは言えないというのが、一ファンとしての正直な感想である。
指導者としてのキャリア的にも、原監督については12球団で見ても別格として、監督3年目(コーチ時代から数えると指導者6年目)の矢野監督・与田監督(同6年目)、監督2年目の高津監督(同8年目)、佐々岡監督(同7年目)と比べても、三浦監督の監督1年目(指導者歴3年目〔兼任時代は除く〕)というキャリアは浅い。
では、どうして、「三浦大輔監督」という決断を球団はしたのか。
ベイスターズを象徴する存在だから、という理由はもちろんあるだろう。
投手コーチ、二軍監督というキャリアは、将来の監督就任に向けた布石であることは、当然想像ができた。
ただ、それだけでは、常時Aクラスを狙えるチームにしたラミレス監督に代わって、就任させるだけの理由としては弱い。
逆に言えば、ラミレス監督において物足りなかった部分の改善、ラミレス監督の続投よりも、チーム作りという意味でプラスの部分があるという判断があったからこその、今回の三浦監督の就任であったはず。
その意味で、「目指す野球」について、球団と三浦監督で、スタートの時点で、ビジョンを共有できていたかが重要となる。
そして、それは、さきの権藤監督から森監督への継承ではないが、ラミレス監督が築いてきたチームのあり方をふまえての共有であることも重要。
ものによっては、継承するところもあれば、大きく変更していこうという部分もあっただろう(推測するならば、その一つは、データに基づいた選手起用をする割合ではないかと思っているが)。
そうして始まった2021シーズンも3分の1を終えた。
この時点で、果たして、三浦監督に求めていたものが、どれぐらい果たされているか。そして、ラミレス監督時と変えた(あるいは、変えようとしたもの)が、どういった結果となっているかの振り返りは、当然、球団として必要だろう。
例えば、三浦監督自身、就任時から口にしていた“得点力”の部分。また、選手の起用方法で変更した部分とその効果。ソト・オースティンの不在期間もあったため、単純な比較はできないが、ラミレス監督と大きく違っている二番打者の起用法とその結果などは、具体的な数字での分析が必要だろう。
いずれにしても、成績の良い悪い以上に、球団が「成績が上がらなかった原因を把握・分析できているか」が、今シーズン、そして来季以降の横浜DeNAにとって重要となる。
そして、それは一部のスポーツ記事や評論家による、無責任な見立てではなく、具体的なデータに基づくものであるべきだと思う。
それを、現場の責任者である三浦監督と、どこまで共有ができるか。
ラミレス監督の去就が取り沙汰された2018年のシーズン終盤、ブログにて「今のチームは、もしかしたら『ラミレス監督でしか回せないチーム』になりつつあるのではないか」という危惧を書いた。
あくまで推測に過ぎないが、今季、チームがラミレス監督続投という選択をしなかったのは、上記の部分が多少あったのではないかと思っている。
であるならば、一定の期間を経過し、思うような成績となっていない今だからこそ、球団がもう一度、三浦監督に求めていた部分を再確認すること。そして、監督との今後に向けてのビジョンの再共有と、それを果たすにあたって、実際に戦ってみて足りない・変更すべきと思うところの梃入れが必要だろう。
あまりに負けが続くことで、自嘲的な方向に行きがちなファン心理もわかるが、横浜DeNAとなって10年。多くのファンは、ここから立ち上がる姿を望んでいると思う。
プロ野球においては、負けの悔しさは、やはり勝つことでしか晴れない。
「勝率2割台からの巻き返し」。
10年目となる横浜DeNAの歴史に、果たしてそれを刻むことができるか。



























