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セ vs パ 40年概観 ―本当に「パ・リーグはセ・リーグより強くなった」のか-

今回は、昨年の日本シリーズが終わったときから、ずっと書こうと思っていたテーマです。

2019年・2020年と、日本シリーズで、ソフトバンクが巨人を2年連続で4タテしたことで、議論が沸騰した、セパ(現状を考えると、パセの並びの方がしっくりくるでしょうか)の実力差。

自分がプロ野球を見始めた80年代は、「人気のセ、実力のパ」と言われた時代でした。
そうしたフレーズが叫ばれた一つの要因は、オールスターでの対戦成績でした。
いわゆる”真剣勝負”ではないにしても、両リーグのトップの選手が対戦する場にて、通算で、パ・リーグが勝ち越し。
自分がプロ野球の記憶がある1982年(日本シリーズは西武vs中日)から、オールスターが3試合行われていた最後の年である1988年までの対戦成績を見てみると、パ・リーグの13勝7敗1分け。
一方、その後、1997年から2000年にかけて、オールスターで、セ・リーグがパ・リーグに8連勝したといった時代もありました。

そんな、この40年近くの、両リーグの力関係を見ると、時代時代で見えてくる流れがあります。
そこで、今回は、次の5つの時代に区切って、この40年を見ていきたいと思います。

1.西武黄金時代
2.ヤクルト 頂点を獲った「考える」野球
3.巨人 巨大戦力の完成形
4.パ・リーグ スーパーエースの時代
5.資金力と育成力と-「王者」ソフトバンク

なお、それぞれの時代は、多少重複したり、時代と時代の狭間もあります(その部分についても触れていきます)。


1. 西武黄金時代(1982~1992)

前述したように、自分がプロ野球を見始めたのは、1982年ぐらいから(その前年の、1981年の巨人vs日本ハムの日本シリーズは、かすかな記憶があるぐらい)。
その1982年は、その後10数年にわたる西武黄金時代の幕開けとも言える年でした。
西武ライオンズとしての初優勝を飾った1982年には、日本シリーズで中日を4勝2敗で破って日本一。
翌1983年は、巨人との初対決で、7戦中3戦がサヨナラ勝ちという激戦を制し、2年連続日本一。
続く1984年はリーグ3位に沈んだものの、1985年からは再びリーグ優勝を続けます。

勝率2厘差で優勝を逃した1989年を除き、1985年から1994年までの10年間で、なんと9度のリーグ優勝。
そして、1986年から1992年までの7年間に限ると、7年中6年で日本一。
1988年の「10.19」での近鉄の戦いがプロ野球ファンの心を打ったのも、試合の劇的さと引き分けという結末もさることながら、あれほど強い西武に、あと一歩のところまで迫ったという部分が大きいでしょう。

なお、1982年から1992年までの日本シリーズの対戦成績は、下記のようになります。

1982 ○西武(4勝)-中日(2勝)●
1983 ○西武(4勝)-巨人(3勝)●
1984 ●阪急(3勝)-広島(4勝)○
1985 ●西武(2勝)-阪神(4勝)○
1986 ○西武(4勝)-広島(3勝)● 1分け
1987 ○西武(4勝)-巨人(2勝)●
1988 ○西武(4勝)-中日(1勝)●
1989 ●近鉄(3勝)-巨人(4勝)○
1990 ○西武(4勝)-巨人(0勝)●
1991 ○西武(4勝)-広島(3勝)●
1992 ○西武(4勝)-ヤクルト(3勝)●

もはや、「西武対セ・リーグ」という構図になっていますが、このなかで、1985年の阪神の日本一はインパクトがありました。
前述の期間のなか、西武がセ・リーグのチームに敗れたのは、この一度のみ。後述する93年・94年を含めて、西武が”力負け”したと感じたのは、個人的には、この85年の阪神のみでした(バースがシーズン同様打ちまくり、第6戦も満塁本塁打を含む3発で西武を沈める)。
その他で、西武相手に善戦したと言えるのは、2度の対戦でいずれも、3勝している広島でしょうか。
当時の広島というと、豊富な投手力と、盗塁や犠打を絡めた細かい野球という印象(山本浩二監督のもと優勝した91年は若干、戦い方が変わっていましたが)ですが、1984年に、その年三冠王を獲得したブーマーを徹底的にマークし、阪急を下して日本一となったように、野球の細かさが、「常勝」西武にも、ある程度通用したといっていいかもしれません。

西武に話を戻すと、当時の西武は、日本シリーズまで見据えて、一年の目標を立てていたとのこと。
なお、ペナントでは、西武がシーズンの折り返し時点で2位に大差をつけていたシーズンも多かったですが、その西武に幾度か迫った仰木監督下での近鉄、そして、優勝まではなかなか手が届かなかったものの、常時Aクラスをキープした阪急(1989年からオリックス)は、当時のセ・リーグの上位チームと戦っても、勝てるポテンシャルを持っていたかもしれません、

いずれにせよ、80年代から90年代初めにかけて、絶対的な力を有していた西武。
そんな西武絶対優位のプロ野球を変える切っ掛けとなったのが、野村監督下でのヤクルトの台頭でした。


2. ヤクルト 頂点を取った「考える」野球(1995~2001)

1992 ●ヤクルト(3勝)-西武(4勝)○
1993 ○ヤクルト(4勝)-西武(3勝)●

上記の2年の日本シリーズは、プロ野球の歴史のなかでも、エポックメイキングとなったシリーズと言えると思います。
シリーズ前は、西武圧倒的優位の声も大きかった、1992年の日本シリーズ。
しかし、その第1戦を、杉浦の代打サヨナラ満塁本塁打という劇的過ぎる形で勝利したことで、最後の最後まで拮抗したシリーズとなります。
延長戦が実に4試合。しかも、第4戦からすべて1点差、第5戦・第6戦・第7戦と延長戦という、稀に見る競り合いとなったシリーズは、最後の最後、西武が、首の皮一枚というところで勝利し、3年連続日本一を果たします。
翌93年も、同じ顔合わせとなった、日本シリーズ。このシリーズでは、ヤクルトが第1戦。第2戦と連勝し、西武が追いかける形に。第3戦を西武が獲って、迎えた第4戦で、飯田のバックホームで、ヤクルトが同点を阻止。川崎-高津のリレーで、1対0で逃げ切った試合が、このシリーズのハイライトと言えるでしょうか。
その後、西武も連勝して3勝3敗のタイに持ち込むも、最終戦は、ヤクルトが初回に挙げたリードを守り切り、前年の雪辱を晴らしました。
西武は、翌94年も、長嶋巨人に敗れ、2年連続で日本一を逃します(西武になって、2年連続で日本シリーズで敗れるのは初めて。なお、このシリーズの第6戦、試合前にもかかわらず、森監督辞任の報道が出たのは、かえすがえすも残念だった)。

ここで、西武1強とも言える時代から、新たな時代に移っていきました。

黄金時代終盤の西武を破って日本一となったヤクルトですが、主力の退団(ハウエル・広沢はその後、巨人へ)や、投手の陣容がそこまで厚くなかったこともあり、毎年リーグ優勝というわけには行きませんでした。
1992年から2001年までの10年間は、優勝か4位(いずれも5回ずつ)と、かなり極端なシーズンを送っています。
ただし、95年から2001年までに3度出場した日本シリーズでは、球団名が変わってからは初のシリーズ出場となったオリックス、東尾監督の下では初のシリーズ進出となった西武、12年ぶりのシリーズ出場となった近鉄を、いずれも4勝1敗と一蹴しています。

1995 ○ヤクルト(4勝)-オリックス(1勝)●
1997 ○ヤクルト(4勝)-西武(1勝)●
2001 ○ヤクルト(4勝)-近鉄(1勝)●

いずれのシリーズも、リーグ戦では打ちまくっていた2001年の近鉄も含め、相手打線を封じての日本一でした。その意味では、やはりキャッチャー古田の存在が大きかったと言えるかもしれません。
また、1999年には、若松監督に交代。就任2年間はいずれも4位と苦労したものの、2001年にリーグを優勝を果たし、日本シリーズでも、大舞台での経験の少ない選手の多かった近鉄を寄せ付けず。
野村野球の代名詞と言われたのが「ID野球」です。ID野球の定義については、人それぞれのようですが、一番の特徴は「考えて野球をやる」という部分でしょうか。
データの駆使も含め、初めは「弱者が強者を倒すには」からスタートした、野村ヤクルトの野球ですが、「考える野球」のチームへの浸透とともに、自らが「強者」となっていきます。
野村監督が退任しても、その教えがチームに残っていたことで優勝したといってもいい2001年は、「弱者の視点」からスタートした野球が、一つの完成を見たようにも感じました。

――――

なお、ヤクルトの日本一も含めた、1994年から1999年までの日本シリーズの結果は、下記のようになります。

1994 ○巨人(4勝)-西武(2勝)●
1995 ○ヤクルト(4勝)-オリックス(1勝)●
1996 ●巨人(1勝)-オリックス(4勝)○
1997 ○ヤクルト(4勝)-西武(1勝)●
1998 ○横浜(4勝)-西武(2勝)●
1999 ●中日(1勝)-ダイエー(4勝)○

96年は、前年、大舞台での経験の差をヤクルトに見せつけられたオリックスが、その経験を生かして、巨人を下して日本一に。
98年は、38年ぶりのリーグ優勝を遂げた横浜が、ペナントの勢いそのままに西武を押し切った格好。
翌99年は、第1戦で工藤(94年オフに、FAで西武から移籍)が、相手の一番・関川を完全に封じたことでシリーズ通して無効化させたこともあり、ダイエーが中日に完勝。
この6年間のトータルの勝敗は、セが18勝でパが14勝。前述のように、ヤクルトが大舞台でのキャリアの差を見せつけたシリーズもありましたが、経験や勢いに大きくシリーズの行方が左右される傾向はみられるものの、両リーグの”実力差”が大きく感じられるとまでの印象はありませんでした。

その後、徐々に、両リーグの力の差が見えてくるようになりますが、その前に、ヤクルトが強さを見せた同時期に、強烈な印象を残した球団に触れたいと思います。


3. 巨人 巨大戦力の完成形(2000~2002)

前述と少し重複しますが、2000年から2002年までの日本シリーズは、下記のようになりました。

2000年 ○巨人(4勝)-ダイエー(2勝)●
2001年 ○ヤクルト(4勝)-近鉄(1勝)●
2002年 ○巨人(4勝)-西武(0勝)●

2000年の日本シリーズは、”ON対決”として、注目を浴びたシリーズでした。
長嶋監督が二度目の巨人の監督に就任したのが、1993年。
就任2年目には、西武を倒し日本一(巨人にとっては、4度目の対決で、初めて西武をシリーズで下す)。
さらに、1993年にはFA制度がスタート、そしてドラフトでの逆指名制度が導入されたことで、資金力とブランド力が突出している巨人が、さらにその座を強固なものにするかとも思われました。
しかし現実は、そうはなりませんでした。
長嶋監督は、就任していた1993年から2001年までの9年間で3度リーグ優勝していますが、連覇は無し。97年から99年は3年連続で優勝を逃しました。
1993年のFA導入から99年までにFA移籍した23人中7人が、巨人への移籍。さらには他球団で活躍した外国人選手の獲得なども含めると、相当の補強をしていましたが、その補強策に偏りがあったためか、獲得した戦力を有効活用できているとは言えませんでした(当時のプロ野球を見ていた人は、「レフト・マルティネス」「レフト・川相」といった、首を捻る起用が記憶にあるでしょうか)。
しかし、さきに挙げた2000年の日本シリーズでは、第1戦・第2戦と連敗スタートも、その後4連勝で日本一と、結果的にダイエーとの力の差を見せる格好となりました。
翌2001年は、ヤクルトに優勝を許すも、続く2002年、原監督1年目にして、2位ヤクルトに11ゲーム以上の差をつけて優勝。
そして、日本シリーズにて幾度となく煮え湯を飲まされてきた西武を、4タテで粉砕します。
西武に屈辱の4タテを喫した1990年の日本シリーズから12年。
内容的にも、西武を寄せ付けなかったこのシリーズは、一つのエポックメイキングでもありました。
なお、この時の巨人の強さを支えたのが、逆指名制度。
参考までに、1997から2000年までの、巨人と西武の1位・2位指名の選手を並べてみます。
(左から1位・2位の順。括弧囲みは逆指名でない選手)

〔巨人〕
1997 高橋由伸 川中基嗣
1998 上原浩治 二岡智宏
1999 高橋尚成 谷 浩弥
2000 阿部慎之助 上野裕平

〔西武〕
1997 安藤正則 (佐藤友紀)
1998 (松坂大輔)(赤田将吾) 
1999 (髙山 久)(真山 龍)
2000 大沼幸二 三井浩二

実際のところ、獲得にかかった金額にどれほどの差があったかはわかりませんが、巨人の指名選手を見ると、見事に、その後の巨人の核となる選手が並びます。

―――――

なお、この頃、巨人の巨大戦力化の一方で気になったのが、リーグ戦での、パ・リーグ投手陣の”勝負を避ける”傾向でした。
この時期は2001年に近鉄のローズ、2002年には西武のカブレラと、当時の日本記録であるシーズン55本塁打を達成しましたが、ボールが飛ぶと言われ始めた時期でもありました。
そのせいか、試合終盤、二死ランナー無しという場面でも、強打者を迎えると敬遠ぎみの投球、といった場面を幾度となく見ました。
「力対力」の対決が売りだったはずのパ・リーグですが、この時期は”臆病な”野球が、やたらと目につきました。
さらに、監督交代の影響か、オリックスが急激に弱小チームに。
2003年のチーム防御率はなんと5.95。この年、優勝したダイエーは、オリックス相手に、20得点以上の試合を4度も記録しているのですが、前年、西武が巨人に4タテを喫したこともあり、「パ・リーグでの強さは、果たして本当の強さなのか?」という疑念もわいてきました。

その意味で、パ・リーグが3年連続で日本シリーズに敗れて迎えた、2003年のダイエーvs阪神、しかもその第1戦は、このままパ・リーグがセ・リーグの後塵を拝し続けるのかどうかを占う意味で、非常に大切な試合だったと思います。
シーズン中、無双状態だった斉藤和巳が失点をしていく展開となったときは、「今年もパ・リーグは…」と思いましたが、ズレータの打球が左中間を抜けサヨナラ打となった瞬間、パ・リーグという存在が息を吹き返しました。
結局、”内弁慶”シリーズと言われたこの年のシリーズは、ダイエーが4勝3敗で阪神を下します。

―――――

なお、2003年から2005年までの日本シリーズの結果は下記の通りです。

2003年 ○ダイエー(4勝)-阪神(3勝)●
2004年 ○西武(4勝)-中日(3勝)●
2005年 ○ロッテ(4勝)-阪神(0勝)●

2004年の西武、2005年のロッテは、いずれもレギュラーシーズンは勝率2位だったものの、2004年からスタートしたプレーオフを制しての、日本シリーズ進出。
特に2005年は、そのプレーオフの勢いそのままに、ロッテが4タテで、31年ぶりの日本一を果たしました。


4. パ・リーグ スーパーエースの時代(2006~2011)

少し時代を巻き戻して、2004年は、球界が激震に見舞われた年でした。
6月に、オリックスが近鉄を吸収合併することを発表。
ここから、1リーグ10球団構想の表面化、新たな合併報道、選手会やファンの反発、そして選手会によるストライキ、新規参入の表明、近鉄の消滅・楽天の誕生と、目まぐるしく様相が変わっていきました。

いずれにしても、このプロ野球再編問題ではっきりしたのは、今までのビジネスモデルでは、球界全体が立ち行かなくなること。そして、巨人戦に頼る球団運営は終焉を迎えたということでした。
この時期を境に、パ・リーグの各チームは、さらなる独自色を、さらにはリーグ全体の活性化にも力を入れていったように思います。
そして2005年、球界を変える取り組みの一つとして、セパ交流戦がスタートしました。
これまで、イメージ的な部分もあった「実力のパ」という部分が、日本シリーズ以外の場で、立証される機会ができました。
実際、パ・リーグは2011年まで、7年連続で、交流戦優勝チームを出すなど、セ・リーグより強いことを証明していきます。
また、リーグ全体の成績も、参入当初は負け続けていた楽天がいたにもかかわらず、

2005年 … 105勝 104敗(7分け)
2006年 … 108勝 107敗(1分け)
2007年 … 74勝 66敗(4分け)
2008年 … 73勝 71敗
と勝ち越し続けます。

2009年に、初めて負け越しますが(67勝70敗7分け)、翌年からは、

2010年 … 81勝 59敗(4分け)
2011年 … 78勝 57敗(9分け)
と、さらに勝ち越し数を増やしていきます。

この間、目立ったのが、パ・リーグの各球団に一人以上はいる、「スーパーエース」とでも言うべき投手の存在でした。
それぞれ活躍した時期は多少異なりますが、下記のような面々です。

・ダルビッシュ有(日本ハム)〔2006~2011〕
・田中将大(楽天)〔2009~2013〕
・岩隈久志(楽天)〔2008~2010〕
・杉内俊哉(ダイエー・ソフトバンク)〔2005~2011〕
・和田 毅(ダイエー・ソフトバンク)〔2003~2011〕
・涌井秀章(西武)〔2006~2011〕
・岸 孝之(西武)〔2007~2014〕
・成瀬善久(ロッテ)〔2007~2012〕
・金子千尋(オリックス)〔2009~2014〕

(※〔 〕内は、NPBでエースとしての働きをしていたといっていい時期)

上記のメンバーに加え、2006年まで西武に在籍していた松坂大輔も入れていいかもしれませんが、当時のこれらの投手たちは、とにかく「強い」印象がありました。
実際、対戦して、セ・リーグの打者は、そのレベルの高さに驚いたのではとも思います。
当時のパ・リーグのトップレベルの投手たちの多さを表しているのが、WBCの代表メンバーの出身リーグの割合といえるでしょう。

〔2006年 WBC〕
(投手)パ…9人 セ…4人 M…1人(大塚)
(野手)パ…8人 セ…9人 M…1人(イチロー)

〔2009年 WBC〕
(投手)パ…8人 セ…4人 M…1人(松坂)
(野手)パ…5人 セ…7人
    M…4人(イチロー・城島・岩村・福留)

(※M…MLB所属)

両大会の投手陣とも、パ・リーグが3分の2を占めており、MLB所属の大塚と松坂も、パ・リーグ出身です。
さらに、先発・リリーフでの投球イニングの差という要因はありますが、各大会の投球イニングを見てみると、その差はさらに顕著になります。

〔2006年〕
パ…42.2回 セ…20.1回 M…5.2回

〔2009年〕
パ…54.2回 セ…9.2回 M…14.2回

(※0.1回は、1/3イニングの意)

前述のスーパーエースとして挙げた投手のうち、ダルビッシュ、田中、岩隈、和田が、その後MLBへ。
そのうち、田中の78勝、ダルビッシュの71勝、岩隈の63勝は、日本人のメジャーでの勝利数3位・4位・5位の数字です(1位は野茂の123勝、2位は黒田の79勝)。

なお、2006年~2011年の日本シリーズは、下記となります。

2006年 ●中日(1勝)-日本ハム(4勝)○
2007年 ○中日(4勝)-日本ハム(1勝)●
2008年 ●巨人(3勝)-西武(4勝)○
2009年 ○巨人(4勝)-日本ハム(2勝)●
2010年 ●中日(2勝)-ロッテ(4勝)○ 1分け
2011年 ●中日(3勝)-ソフトバンク(4勝)○

日本一の数は、パ・リーグ4回、セ・リーグ2回と、パ・リーグがリードしていますが、勝敗の合計は、パリーグ19勝・セ・リーグ17勝(1分け)と拮抗しています。
セ・リーグも、パ・リーグに遅れること3年、2007年から、プレーオフによる日本シリーズ出場チーム決定をスタートさせましたが、日本シリーズ進出は、中日と巨人が分け合う形。
この頃の巨人は、ラミレス、小笠原など、相変わらず他球団の主力選手を獲得していましたが、一方で、山口鉄也や松本など育成選手出身の選手の台頭、木村拓也や大道など、他球団で出場機会が無くなった選手の活躍も見られ、1990年代から2000年代初めにかけての巨人とは、少し様変わりしてきた感もありました。

―――――

続く2012年・2013年の日本シリーズは、下記の結果となります。

2012年 ○巨人(4勝)-日本ハム(2勝)●
2013年 ●巨人(3勝)-楽天(4勝)○

結果的に、この2012年の巨人以降、セ・リーグは、日本シリーズで勝てていません。
さらに、2013年の巨人以降、日本シリーズで、3勝すらできていません。


5.資金力と育成力と-「王者」ソフトバンク(2014~)

2011年に岩隈、2012年にはダルビッシュ、さらには「24勝0敗」というとてつもない記録を残して、2014から田中将大が、MLBに活躍の場を移します。
各球団にスーパーエースがいた時代から、パ・リーグの様相は変わっていきます。

しかし、交流戦での「パ・リーグ優位」は変わりませんでした。

2012年 … 67勝66敗(11分け)
2013年 … 80勝60敗(4分け)
2014年 … 71勝70敗(3分け)
2015年 … 61勝44敗(3分け)
2016年 … 60勝47敗(1分け)
2017年 … 60勝51敗(1分け)
2018年 … 59勝48敗(1分け)
2019年 … 58勝46敗(4分け)
2020年 … 〈開催なし〉

個人的に、強く印象に残っているのが、2015年(6月6日)の、DeNAvs西武戦(横浜スタジアム)。
この試合、先発の井納はじめ、DeNA投手陣が、西武に5本塁打を浴びました(中村、メヒア〔2本〕、森、浅村)。
すべてソロだったので5失点で済みました(試合自体は1-5で敗戦)が、いとも簡単に西武打線がスタンドに放り込む姿に、「一体どうしたら勝てるんだ…」と思った記憶があります。
パ・リーグが交流戦上位を占めるのも、もはや見慣れた光景。
そんなパ・リーグを、2010年代、引っ張ってきたのがソフトバンクです。

2014年以降の日本シリーズは、下記のようになっています。

2014 ○ソフトバンク(4勝)-阪神(1勝)●
2015 ○ソフトバンク(4勝)-ヤクルト(1勝)●
2016 ○日本ハム(4勝)-広島(2勝)●
2017 ○ソフトバンク(4勝)-DeNA(2勝)●
2018 ○ソフトバンク(4勝)-広島(1勝)● 1分け
2019 ○ソフトバンク(4勝)-巨人(0勝)●
2020 ○ソフトバンク(4勝)-巨人(0勝)●

中日をのぞく5球団が、ソフトバンクの壁に跳ね返されています。
2017年のDeNAが唯一2勝していますが、このシリーズも、ソフトバンクが初戦から3連勝と、一気に4タテしてもおかしくない内容でした。

どうして、ここまでソフトバンクが強くなったのか。
その要因は様々ありますが、なかでも大きなのが、「資金力」と「育成システム」でしょう。
2015年に、巨人の金額を逆転して以来、年俸総額はトップをキープ。
また、2012年に福岡ドームを買収したことで、年間数十億円の支出を抑えることができたソフトバンク。そこで捻出された資金は、他球団の有力選手獲得などだけでなく、総工費50億円ほどをかけた、二軍・三軍用球場の建設に使われました。その設備の見事さも含めて、これまでの球団経営とはスケールが違うと感じます。
そして、もう1点際立つのが、育成出身の選手の活躍。
いまや球界を代表する、千賀・甲斐のバッテリー。さらに、石川、周東、牧原、二保、大竹と、育成出身選手の活躍度は、他球団を圧倒しています(ドラフト入団ではありませんが、モイネロも、入団時は育成契約)。
そこには、育成選手を一軍で活躍するまでに持っていく育成システムの確立が見てとれます。

この巨大な存在であるソフトバンクに対し、パ・リーグ各球団が、何とか勝てないかと腐心している(というか、腐心せざるを得ない)ことが、パ・リーグ全体の強さにつながっているように思います。
実際、ではソフトバンクが毎年、リーグ優勝を果たしているかというと、そうではなく。
2016年には、大谷翔平という球史に残る選手を擁した日本ハムが、さらには2018年、2019年と、西武黄金時代のメンバーでもあった辻監督率いる西武が、リーグ優勝を果たしています(なお、迎え撃つ工藤監督も、西武黄金時代の時のメンバーですが)。
優勝には届きませんでしたが、戦力が豊富と言えないものの、戦い方を工夫したことで、終盤までソフトバンクを追い詰めた2020年のロッテの戦いぶりも印象に残りました。

それでも、「最後はソフトバンク」とばかりに、この7年で6度の日本シリーズ進出。そのすべてで日本一、対戦成績は24勝5敗(1分け)と、セ・リーグを完全に凌駕しています。

―――――

随分長い記事になりました。

最後に、この40年を、改めて振り返ってみます。

80年代、西武が黄金時代を築きました。
それを支えたのは、根本陸夫球団管理部長。根本氏が、黄金時代の西武を作ることができた要因は色々あると思いますが、なかでも大きかったのが、”豪腕”とも称された、その「スカウティング」力でしょう。
その後、野村克也監督の「考える」野球により、ヤクルトが躍進します。
さらに、有力選手を次から次に獲得していった「巨人」が、その力を見せつけていきます。このとき、逆指名制度など、資金力のあるチームに有利な制度変更を主導したのが、巨人の渡邉恒雄オーナーと言えるでしょうか。
しかし、「球界再編」という、エポックメイキングな出来事を経たのち、パ・リーグの各チームは、自分たちで魅力あるチームを作っていく必要に迫られます。
そこから生まれた、パ・リーグの「エース」が割拠する時代。
さらに、世界一の球団を作ることを目標とした、孫正義オーナーのもと、「資金」と「育成」の両輪を備えたソフトバンクが、球界のトップとなり、それが続いているのが今の状況です。

思えば、この40年で、明確に「セ・リーグがパ・リーグより強かった」と言えるのは、ヤクルトが躍進した90年代、そして2000年代初め、圧倒的な戦力を持つ巨人がいた時代だけだったのではと思います(1993~2002年の日本シリーズは、セが8度制している)。
時期にすると、40年間のなかの、10年ほどと言えるでしょうか。
その意味では、今回の記事のサブタイトルに挙げた「パ・リーグがセ・リーグより強くなった」という表現は誤りで、「パ・リーグは、1980年代から、ずっとセ・リーグより強かった。ただし、90年代から2000年代初めにかけて、セ・リーグが優位な時代があった」というのが正しいのではないでしょうか。
この90年代のヤクルトと、2000年代初めの巨人に共通するのは、他球団との差が大きい分野にて、徹底的に差をつけたことです。ヤクルトは「頭脳面」、巨人は「資金面」と内容は違いますが、相手と同じ分野で優劣を争う、というより、他球団がやっていない(できない)ところを、徹底的に強化することで、他球団に対し、大きなアドバンデージを手にしました。
そう考えていくと、現在、パセの格差を是正するために議論されている、DH制度のセ・リーグ導入では、その格差は埋まらないように思います。
パ・リーグのやっていることを後追いするのではなく、パ・リーグが手をつけられていないところに着目し、その部分を徹底的に伸ばしていくことの方が、パセ格差の解消には有効ではないでしょうか。

by momiageyokohama | 2021-03-06 02:14 | 野球(全般) | Comments(0)

「読んだ方が野球をより好きになる記事」をという思いで、21年目に突入。横浜ファンですが、野球ファンの方ならどなたでも。時折、ボクシング等の記事も書きます。/お笑い・音楽関連の記事はこちら→http://agemomi2.exblog.jp/


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