「筒香発言」の重み
2019年 02月 15日
これまでも、日本の高校野球、そして少年野球の問題点については、一部のスポーツライターらによって指摘されてきたが、どちらかというとジャーナリズム的な野球の見方の一部という側面が大きかった。
そうしたなか、ボーイズリーグ→高校野球の強豪→プロ野球のトップという経歴を辿ってきた選手自身が、少年野球・高校野球界の環境の問題点を指摘するという意味は非常に大きい。
なお、ネットニュースなどでは発言の一部しか紹介されていないが、その思いの全容は、昨年11月に発売された『空に向かってかっ飛ばせ』(文藝春秋)で読むことができる。
本のタイトルだけ見ると、「プロ野球選手が子どもたちにエールを送る」紋切り型の本と思われるかもしれないが、内容は「日本の現在の野球環境に警鐘を鳴らす本」といっていい。
筒香の一連の発言を聞いた人のなかには、なぜ、これだけの実績のある現役バリバリの選手が、(ある種の)リスクを負ってまで、こうした踏み込んだ発言をするのか、疑問を持つ人もいるかもしれない。
その最もわかりやすい理由は、筒香の著作でも紹介されている「少子化と軟式野球人口減少率」の比較だろう。
【2009年度を100%としたときの、2009年度→2018年度の推移】
〔中学生男子人口〕100% → 90.4%
〔中学生軟式野球人口〕100% → 54.4%
※上記は「学校基本調査」、下記は「加盟校調査集計(日本中学校体育連盟)」
実際の人数にすると、中学生軟式野球人口は、9年間で14万人以上の減少(-46%)。各年度ごとの減少幅を比較すると、少子化の5~10倍近い速度で減少している。
なお、スポーツをやる子ども自体が減っているのではないかという声もあるかもしれないが、各競技の部員数を比較してみると、下記のようになる。
【各競技の2009年度→2017年度の部員数の推移】
〔サッカー〕22万3,951人 → 21万2,239人
〔野 球〕30万7,053人 → 17万4,343人
〔卓 球〕14万9,019人 → 15万5,004人
〔バトミントン〕3万6,510人 → 4万9,469人
これを見ると、少子化のせいで激減しているのではなく、いかに「野球をやろう」という子ども(あるいは親)が少なくなっているかが、残酷までにわかる。
10年前と比べると、さまざまな競技で、日本人のトッププレーヤーが世界のトップレベルで活躍するのを目にする機会が増えた。
「サッカーか野球か」などと言っていた時代はとうに終わり、テニス、卓球、バトミントン、そして、フィギュアスケートといったスポーツが、スポーツニュースのトップを飾ることは、もはや当たり前といっていい。
これだけ野球をする人口が減った要因としては、地上波中継での野球の露出減少を原因として挙げる考えもあるかもしれない。ただ、プロ野球の観客動員数自体は増加している(実数発表となった2004年以降)。CS放送やネット放送など、プロ野球全体で言えば、試合を見る環境自体は大きく広がっており、「観るスポーツ」「応援するスポーツ」としての魅力が大きく減っているとは言えないだろう。
そう考えると、やはり「さまざまな選択肢が増えてきたなか、長らくトップスポーツでいたことで蓋をされていた、高校野球・少年野球の前近代的な環境が、子ども(そして保護者)にとって、どんどん『やるスポーツ』としての魅力が感じられないものになっている」ことが、野球をやる子どもたちの激減という事態につながっているのではないか。
なお、筒香がこれまで訴えてきたこと、そして、そこから派生する少年野球・高校野球の問題点を改めて整理すると、下記の3つに集約されるのではないかと思う。
1. 野球を「好き」になってもらうことが主眼に置かれていない「環境」
2. いまだ叱責や暴力に頼る「指導」
3. プレイする本人の成長より、その他の事情が優先される「大会形式」
1の「環境」に関しては、根底にあるのは、乱暴な言葉で表すなら「おまえら、野球やりたいんだろう。だったら、これぐらい我慢しろ」ということになるだろうか。
それこそ、多くの子どもたちが野球をやっていた時代から、「『野球、やりたいんだね。じゃあ、一緒に楽しくやろうか』という意識はかなり薄い」というのが、少年野球・高校野球の現実ではないか。
なお、子ども自身の話から少し離れるが、少年野球におけるお茶当番など、保護者への荷重負担なども、前述の「野球をやりたいんだったら、我慢……」という要素に含まれるかもしれない。
2の「指導」に関しては、十数年前、高校野球の強豪校を取材しているスポーツライターの人に、今でも、昔ながらの指導がされているのかを聞いたことがある。そのときは、「もう、そんな指導では勝てない」という答えだった。確かに、実際の指導者のインタビューなどを見ても、この十年ぐらいでの強豪校での指導の変化という部分は見て取れる。ただ、その後もたびたび報道される指導者による暴力の報道を見たり、少年野球の場を通りかかったときに、指導者の怒号が飛び交う場面などに出くわしたりすると、「いまだに変わっていないのか……」と愕然とする。しかも、こうした指導は、チームのレベルの強弱を問わず存在していたりする。
3の「大会形式」に関しては、まさに高校野球の問題点として指摘されている部分である。その象徴的なものが甲子園での投手の連投ということになるが、当然、地方予選でも同じことが指摘されるべきである。
また、これは特にレベルが高い選手であるほど起きているのかもしれないが、すでに少年野球の時点で、登板過多により肘や肩を壊している選手が少なくないという現実があるとのこと。これらは、よく言われるトーナメント制による弊害なのかについては検証が必要だと思うが、いずれにしても、各々の指導者の意識を変えるだけで防ぎきれるものではなく、少年野球から高校野球まで、大会形式であったり、球数制限を設けたりするなど、ルール自体を変えていかなければいけないと思われる。
では、それぞれの要素について、具体的な方法として、どう変えていけばよいのだろうか。
自身の子どもがまだそうした年齢ではないため、肌感覚として感じたものからの案ではなく、現状とはずれてしまっている部分もあるかもしれないが、現時点で考え得るものを挙げていきたいと思う。
1の「環境」については、「野球をやりたい子ども(選手)たちが、チームのやり方に、不本意でも従う」という、「チーム」主体の環境ではなく、「子ども(選手)たちが、自分がやりたいと思えるチームを選ぶ」という流れをつくることができればと思う。それこそ、「子どもが野球を楽しくできる」ことを第一に考えたチームに人が集まっていき、ただただ子どもを罵倒するようなチーム(指導者)は淘汰される流れが理想である。その意味では、チームの選択というところで、入団前に、よりチームに関する情報が入手できるサイトなどがあればと思う。
もう一つ「環境を変える」にあたっては、保護者の意識も大事なのではないか。
これは、野球のケースではないが、昨年、自分がテニスをやっている横のグラウンドで少年サッカーの練習試合をやっていて、その試合中、コーチがずっと選手を叱責している場面に出くわしたことがあった。そのこと自体にも引いたのだが、もっと違和感を感じたのが、絶え間ない叱責を、数十人いた保護者たちが黙って見ているという光景だった。保護者たちにとってはいつもの光景だったのかもしれないが、「子どもたちは、好きなサッカーだからこそ、貴重な休日を割いてやっているはずなのに、一体この光景は何なんだろう」と思わずにいられなかった。
横暴に見える指導者のふるまい(や、子どもたちを大切にしないチームのあり方)を許している要因の一つに、保護者がそれを是としている風潮(または、おかしいと思っても指摘できない環境)があるのではないか。
もちろん、各々の保護者によって考え方が異なる部分もあるだろうが、「子ども(選手)を大切にしない指導者(チーム)はダメだ」という共通認識を保護者の側が持つことも必要だろう。
続く2の「指導」。1の「環境」とも重なるところもあるが、何より「叱責や罵倒(そして暴力)による指導は、もはや指導ではない」という認識を、野球界全体の認識として確立させることが大事だろう。
「なんで、できないんだ!」というフレーズは、実は、指導者自身の指導力の無さを表している言葉でもあり、「指導が悪いから、できないんだ!」と、そのまま指導者に返すべきフレーズである。
ただし、野球は、身につける必要がある技術的要素が多いスポーツでもある。加えて、それぞれの子ども(選手)のレベル、さらには体格や骨格、性格の違いを考慮した指導となってくると、教える側にかなりのスキルが求められる。さらには、時代が変化するとともに、昔は正しいと思われていた常識が変わってくることもある。
その意味では、少年野球(高校野球)の指導者が、恒常的に技術指導を学べるような仕組づくりが必要だろう。プロ野球の指導がすべて正しいというわけではないだろうが、プロの世界で、高い確率で裏付けが取れている技術理論を伝達できる機会を増やすこと。それと並行して、子どもの発達に応じた練習方法や、子どもの体の仕組みや怪我防止の知識の共有化も必要だと思う。また今後は、モチベーション理論、メンタルトレーニング、眼のトレーニングといった要素も、指導において重要度を増す部分となるだろう。
3の「大会形式」は、目に見える形で改革をしていかなければいけない部分であり、つまりは、明確に見える形で改革ができる部分でもある。
今夏の甲子園は、準々決勝翌日に加え、準決勝翌日にも休養日が設定されることが決まったが、これは当然、地方予選でも導入されるべきである。
ただ、それでも、プロ野球など他のカテゴリーを考えれば、休養日は十分とは言えない。この問題を根本的に解決するには、勝ち上がっていっても、中4日以上の休養日がとれるような日程の拡大、あるいは、投手の球数制限の適用といった制度の変更が必要だろう。
また、実質的にはトーナメントといってもいい、春の甲子園の予選のリーグ戦化。さらには、本大会も、リーグ戦を経たうえでの決勝トーナメントという形(WBCのような方式)を試してもいいかもしれない。
なお、酷暑の度合いが増している夏の大会については、すでに地方大会で時間変更がされている地域もあるが、甲子園大会も、昼間の時間帯には試合を行わず、8時、15時、18時開始の3試合にするといった形にしてみてはとも思う。
いずれにしても、少年野球・高校野球が、「子ども(選手)たちが、野球をより好きになる場」にするために、具体的な方策を進めていかなければいけないのは間違いない。それには、プロ野球界からは、まだ筒香ぐらいしか、声高に変革の必要性を訴えている選手(元選手)はいないが、その他の選手もこうした声を挙げてほしい。個人的には、アマチュアを含めたこれまでのキャリアを考えると、黒田(広島・ドジャース・ヤンキース)あたりが、今回の筒香の言動に賛同するコメントなどを出してくれればと思う。
また、これまで、いわゆる“前近代的な”指導を行ってきた指導者たちが、そのことへの反省と、指導の変革の必要性を表明するという動きもありだと思う。これまで、叱責をベースにした指導をしてきた人たちが、そうしたことを口にすることの意義もまた大きいのではないか。
“守旧派”vs“改革派”といった対立にするのではなく、時代の変化とともに、今までの野球キャリアにかかわらず、「野球界全体で、少年野球・高校野球の意識を変えていこう」という流れをつくることができれば、“前近代的な世界の象徴”とされる野球界が“変わっている”ことの明確な意思表示にもなる。
野球に魅せられた身としては、野球には、どんなに語っても語りつくせない魅力がある。
10年後、20年後、さらには50年後も、「野球は面白い」、そして「野球は素晴らしい」と胸を張って言えるための、野球をとりまく環境づくり。そのために、野球を好きな人たちが今できることは、立場の如何にかかわらず、数多くあると思う。