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追悼 衣笠祥雄氏

衣笠祥雄氏が亡くなった。

今年初めにブログにも書いた星野仙一氏、また、横浜(大洋)ファンにとって印象深い選手である盛田幸妃氏をはじめ、これまでも、プロ野球界の人が亡くなってショックを受けることはあったが、今回の衣笠死去のニュースは本当にショックだった。

それは何より、衣笠氏が、一番好きなプロ野球解説者だったからだ。

あの独特のハイトーンボイスで、野球をいかにも楽しそうに語る口調。
決して、選手を「上から目線」では批判しない、解説に対する“姿勢”。
ただし、“優しい”だけではない、きちんとした野球を見る“眼”を持ったうえでの解説。

個人的に、野球を“明るく”“楽しく”、そして“深く”語れるという意味では、自分が聞いてきたなかでもNo.1の解説者だと思っている。

衣笠氏というと、やはり一番に浮かぶイメージは、連続試合出場記録に象徴される“鉄人”というイメージ。
しかし、そのプロ野球人生は、決して順風満帆だったわけではない。
本人ものちに語っているように、入団当初は遊びまわることも多く、決して“模範的”な野球選手とは言えなかったという話である。
そうしたなか、ジャズクラブで顔なじみになった米兵の「明日、ベトナム(戦争)に行くんだ」という話を聞き、野球に真剣に取り組みようになった、というのは有名なエピソード
さらに入団6年目の1970年。関根潤三・打撃コーチが、合宿所の門限を破って帰って来た衣笠に対し、怒鳴ることなく、「さあ、素振りしようか」と声をかけ、その後の素振りを見守ったという話も印象的である。

そんなプロ野球生活のスタートを経て、最終的にプロ野球生活23年間で残した数字は、2677試合(NPB歴代5位)、504本塁打(同7位)、1448打点(同11位)。そして、2215試合連続出場という日本記録を持ちながら、161の死球(同3位)も。さらには、盗塁も266(同40位)記録している。

しかし、そんな輝かしい成績を残した選手ながら、“完全無欠”というよりも、たびたびするエラーや、豪快な三振などに見られるように、失敗と成功を繰り返しながら、グラウンドに自身の居場所を文字通り刻んでいった泥臭い選手というイメージが強かった。
これも本人が後に語っているが、連続試合出場を続けて9年目となる1979年に陥ったスランプ時(開幕直後から打撃不振で5月下旬になっても打率1割台。700試合という連続フルイニング出場の日本記録(当時)まであと22試合と迫りながら、ついにスタメン落ち)には、本当に追い詰められたという。

そんな数々の辛苦を味わっての選手生活であったがゆえに、解説者になっても、失敗したプレーをただ頭ごなしに批判するのではなく、それを生み出した要因にきちんと言及したうえでの(それが、チャレンジしたうえでの失敗かという部分も含めて)解説をし続けることができたのかもしれない。

先日放送された、TBSラジオの追悼特番では、長年中継を共にした小笠原亘アナが、実況アナとしてのキャリアをスタートさせた頃に、「ボーンヘッド」という言葉を使った際、衣笠氏に、「それぞれのプレーの裏には理由があるのだから、簡単に『ボーンヘッド』という言葉を使ってはいけない」と指摘されたという話を披露していた。

横浜ファンの立場からすると、TBSのCS中継でその解説を耳にすることも多かったが、決して褒められた戦いをしているとは言えなかった時期でも、個々の選手のなかにいい要素を見つけ、できる限り「野球を楽しむ」中継にしてくれた。
衣笠氏と言えば、「今のバッティングは素晴らしいですね」「今のボールは素晴らしいですね」と「素晴らしい」を多用していた印象があるが、この「素晴らしい」の「晴(ば)」のところにアクセントをつけていたのも特徴的だった。

一方で、大きな才能を感じる選手には、現状に甘んずることなく、さらに上を目指してほしいという視点も持っていた。
印象に残っているのは、レギュラーとして主軸を張り始めた頃(2014年か2015年のシーズン中盤頃)の筒香選手に対してのコメント。
このとき、すでに3割近くの打率を残し、もうチームの主軸として不動の選手になったという印象のあった筒香。アナウンサーも「いい選手になりましたねえ」といったコメントを衣笠氏に投げかけたが、衣笠氏は「ただ、本当の四番になるにはフォアボールの数が少ない。○○試合で四球の数が○○ということは、まだピッチャーに勝負できるバッターだと思われている。本当の意味でピッチャーに怖がられるバッターになるには、四球の数がもっと多くなっていかないといけない」と指摘した。
正直そのときは、これだけ結果を残している選手に対しては厳しすぎるコメントではないかと思った。ただ、衣笠氏には、「筒香には、もっと一回りも二回りも大きなバッターになってほしい」という思いがあったのだろう。
その後、2016年、打率.322、44本塁打、110打点、四死球90、出塁率.430という数字を残した筒香。文字通りピッチャーに怖れられるバッターとなった筒香に対し、衣笠氏は中継で「いいバッターになりましたねえ」としみじみと言っていた。

そんな衣笠氏の解説に対し、少し違和感を感じたのは、1・2年ぐらい前の中継だったか。
衣笠氏にしては珍しく、うまくいかないプレーに対し、愚痴めいた口調で指摘することが間々あった。
「衣笠氏ほどの人でさえも、年齢を重ねると、愚痴めいた解説になってしまうのか」と、ちょっと残念に思った。もしかしたら、年齢的におそらく指導者として野球に携わることができないであろうことへのジレンマが、そうした解説になっているのかもとも思った。
しかし、数年前から体調を崩していたという話を聞くと、おそらく、そうした解説は体調面から来るところが大きかったのだろう。
逆に言えば、衣笠氏がいかに、プレーを解説するに際して、「一度、自分の中で言葉を選んで視聴者に伝えていたか」ということの裏返しにも思う。

衣笠氏と言えば、もう一つ書いておきたいことがある。
解説者を務めていたのがTBSということもあり、解説の多くはセ・リーグの試合だった。ただ、新聞のコラムなどを見ると、パ・リーグの試合・選手にもきちんと目を通していたことがわかる。主力選手だけではなく、しっかりそのチームを見ていなければわからないポイントを指摘した記事内容もたびたび見られた。
解説者として当たり前のことではあるかもしれないが、自身が論評するカテゴリーでの割合の多い少ないにかかわらず、すべての野球に目を通す。そんな姿勢が垣間見られた。

その死去を受け、一昨日、追悼番組として再放送されていた、BS朝日の「ザ・インタビュー」。
そのなかで、インタビュアーに、「どうして指導者として復帰しなかったか」と聞かれた衣笠氏は、いかにも心苦しそうに、そして無念さをにじませながら、「(野球人として)申し訳ないという気持ちがある」「広島へのこだわりが強すぎたのかもしれない」と答えていた。
自分も、これだけの野球への愛情、そして選手への愛情を持った衣笠氏が、指導者としてグラウンドに立つ姿を見たかったという思いは強い。
何より、本人自身、その思いは強かっただろう。
Number webで書かれていた記者の追悼記事では、衣笠氏の口癖として「野球をやるのは選手なんですから」という言葉が紹介されていた。
広島でなくていい。ともすれば、プロ野球でなくてもいい。“選手第一”の考え、一方でしっかりとした哲学を持った野球人が、どのような指導をするか、というのは本当に見てみたかった。

ただ、その30年間にわたる解説は、ファン・野球関係者問わず、“野球を好きな人”の多くに、野球の楽しさ、そして深さを伝えてくれたと思う。
そして、野球を論評するのに必要な“思いやり”、そして“責任”も。

一ファンという立場ではあるが、その解説に与えられた影響、何より「野球を、目の前で起きたことだけで見るのではなく、背景も含めて丁寧に見ることの正しさ。そして楽しさ」を教えてくれたという意味で、衣笠氏には、どんなに感謝してもしきれない。

野球を、いかに「丁寧に」そして「楽しく」見るか。
その思いを、改めて持ちながら、これからも野球を見続けていきたい。


by momiageyokohama | 2018-04-30 00:42 | 野球(全般) | Comments(0)

「読んだ方が野球をより好きになる記事」をという思いで、20年目に突入。横浜ファンですが、野球ファンの方ならどなたでも。時折、ボクシング等の記事も書きます。/お笑い・音楽関連の記事はこちら→http://agemomi2.exblog.jp/


by もみあげ魔神
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