平昌オリンピックを見終えて感じたこと
2018年 02月 28日
今回、日本代表は、メダル数が冬季オリンピックで最多の13となった(今までの最多は、長野大会(1998年)の10)。
また、入賞数43も過去最多だった(長野大会は33)。
メダル獲得が続いた日も多く、2月12日の夜は、NHK-BSで男子モーグル(原大智選手)、テレビ東京でスピードスケート女子1500m(高木美帆選手)、そしてNHKで女子スキージャンプ(高梨沙羅選手)と、数分おきにチャンネルをまわしながら見ていた。
なお、一口にメダルと言うが、各競技を最初から見ていると、世界のトップの選手たちが集まる大会で、上位3人に入ることの凄さが改めてわかる。
ちなみに、自分の冬季オリンピックの最初の記憶は、サラエボオリンピック(1984年)。
そのサラエボ大会は、スピードスケート500mに出場した黒岩彰が日本中のメダル獲得(それも金メダル)の期待を一身に受けたが、結果は10位。
おぼろげながら、レース後、テレビ画面から何とも言えぬ失望感が漂っていた記憶がある(同レースに出場していた北沢欣浩が銀メダルを獲得はしたのだが)。
黒岩選手はその4年後、カルガリーで銅メダルを獲得した。
このサラエボ、カルガリーでの日本のメダル獲得数は、それぞれ1つ。
その時代から考えると、この20数年で、本当に日本のウインタースポーツの選手達のレベルが上がったと感じる。
ただしその間、2006年のトリノオリンピックでは、メダルが荒川静香選手の金メダル1個のみということもあった(入賞は21)。
そうした、なかなか上手くいかなかった時代や経験を経ての、今回の各選手の好成績を支えたものとして、競技力のレベルアップを実現するための様々な取り組みや体制の構築、金銭面でのバックアップ(これは競技によっては受けていない競技もあるかもしれないが)、そして当然、選手たちの不断の努力や意識の変革などがあっただろう。
なかでも目立つのが、外国人コーチの存在。トップレベルを目指すのであれば、その競技で実績がある国からのコーチ招聘は当然の流れと言えるかもしれない。その意味では、冬季種目に限らず、その流れに乗り遅れている競技は、今後の展望が描きにくかったりもするだろう(例えば、バレーボールなど)。
また、これは夏季オリンピック競技、特に水泳などにも言えるが、以前はその選手の最もよかったときの順位を基準にして「メダル候補」として持ち上げていた(実際の世界ランクは10~20位ぐらいだったりするにもかかわらず)のが、最近は、今回の小平奈緒選手のように、本当に世界ランク1位、またそれに準ずる選手が出現してきた。
その意味では、「マスコミの期待値と現実値の差」も、この20年でずいぶん縮まってきたと言える。
なお、メダルを獲ったことで俄然注目が集まることとなった選手たちだが、そうなってくるとやはり心配なのは、そうしたまわりのフィーバーぶりに潰されやしないかということ。
そうしたなかで、オリンピック閉幕の翌日の日刊スポーツのコラムで、為末大氏が、「選手たちへのイメージが実際以上に膨らみ、まるで聖人君子のような品行方正さを求められるようにならないか」という心配を書いていた。「アスリートだから何もかも許してほしいという話ではない。ただ、あくまで一人の若者だという前提で考えて欲しい」という為末氏の思いは、果たして、プライベートな領域に無遠慮に入ってくる一部のマスコミや、描いていたイメージとの違いを感じると途端にバッシングを始める人たちに届くかはわからないが、確かにそうした心配はある。
ただ、帰国後の選手たちのインタビューを聞いていると、そうした心配は杞憂である気がしてきた。
今回メダルを獲得した選手たちに限らず、今回のオリンピックに出場した選手たちのほとんどは、われわれが伺いしれない「世界」の舞台で戦っている。それぞれのインタビューでは、オリンピックでの好成績への満足よりも「その先」を見据えた発言が目立ったのが印象的だった。
報奨金が出るとはいえ、オリンピックのメダルは、決して、その後、高いレベルでの競技生活を続けることを保証するものではない。
そうした世界の舞台で戦い続けることの厳しさを何よりわかっているのは、選手たち自身だろう。
マスコミの度を超えた報道や心無いSNSなどの声は、それらの人々自身のスポーツ観の“貧しさ”の表れとも言える。
実際に第一線で戦う選手たちの”覚悟”や”強い思い”は、最終的には、そうした”無責任な要因”をきっぱりと跳ねつける力を持っているはずだ。
オリンピック自体は終わったが、改めて、そうした選手たちの”覚悟”や”強い思い”に思いを馳せ、明日からの"力”にしていきたいと思う。