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歴代最高野手 追記

前回書いた『「歴代最強野手」は誰だ?』で書き足りなかったことを。

今回、「ベスト10」ということで、10人の野手を挙げたが、当然、他にも入れたかった選手が数多くいる。
その筆頭が、新井宏昌。自分が明確に意識をしたのは、近鉄で首位打者を獲った1987年だが、その年の打率は.366。打ってのヒットだけでなく、セーフティバントの名手でもあり、確か初めて観に行った後楽園の日本ハム戦でも、プッシュ気味の見事なセーフティを決めていた記憶がある。また、記録を見ると、三振の少なさも突出。レギュラーを張った17シーズンで、40三振以上を喫したのはゼロ。通算三振率(三振/打数)は0.060で、これは三振数が今より格段に少ない1950・60年代の選手と比べても上位に位置する数字である(ベスト10に入れなかったのは、世代的に、南海時代をあまり知らなかったため)。

また、打率が高く、かつ長打力もあるという意味では、小笠原道大もベスト10に入れたかった一人。通算打率.3104は歴代8位(現時点で内川を上回る)で、かつ378本塁打を放つ。しかも、高校時代は本塁打ゼロだったというところに、野球の一つの浪漫が垣間見られる。飛ばなくなった統一球の影響か、2011年以降、急激に成績を落としてしまったのは残念だったが、ガッツの愛称とともに、記憶に残る選手の一人。

その他、40歳にして44本塁打・125打点で二冠を獲った門田博光。80年代、黄金時代の西武の象徴とも言えた辻発彦。また、連続試合フルイニング出場数の世界記録(1492試合)とともに、連続打席無併殺打1002打席の日本記録を持つ金本知憲なども入れたかったところ。

一方、ネームバリュー的にはベスト10に入れても全くおかしくないが、あえて入れなかった選手もいた。
その一人が、掛布雅之。3度のホームラン王を含む通算349本塁打。そして、“ミスタータイガース”という存在であることを考えると、当然ベスト10に入れる選手かもしれない。ただ、86年以降、急激に成績が落ちてしまった印象が強かった(あれだけの選手ながら、主力打者としての活躍したのが30歳までというところに、プロ野球という世界の過酷さも感じるが)。
また、山本浩二も、実績を考えれば入れるべき一人。印象的だったのは、引退を表明した年に出場した日米野球で、日本チームにとって最初のホームランを放ったこと。この年はシーズンでも27本塁打を放っており、村田兆治とともに、まだまだ力があるにもかかわらず“引退”の決断をしたプロ野球選手として印象深い。こちらは、チーム初優勝となる70年代中盤から、毎年40本塁打以上を打っていた80年代初めの活躍をリアルタイムで見ていないため、今回は選外とした。

なお、番外編として、どうしても挙げておきたい選手が一人いる。
その選手の名は、「新庄剛志」。
阪神時代の“諸々”は、あえて触れないでおこう(^^)。
自身キャリアハイの成績を残した2000年オフのMLB行き宣言。そして、誰もが厳しいであろうと思っていたなかでの、レギュラー奪取。さらには、ワールドシリーズ出場。
そして、日本ハムでの3年間。
巨人を中心としたプロ野球システムが限界を見せるなか、「これからは、パ・リーグです!」という宣言とともに、「プロ野球とはかくあるべし」というものを、「北海道日本ハム」の選手として次々に発信していった行動力は素晴らしかった。その行動は、プロ野球の“流れ”を完全に変えたと思う。
既存の地上波中継を中心としたプロ野球モデルがひとまずの終焉を迎えたにもかかわらず、球場の観客動員数が増加した、この十年。そこには、間違いなく新庄の功績がある。
その桁外れな守備力ももちろん凄かったが、成績プラスアルファの部分で、どうしても触れておきたい選手として、最後に紹介した。


by momiageyokohama | 2018-01-30 01:31 | 野球(全般) | Comments(0)

「読んだ方が野球をより好きになる記事」をという思いで、20年目に突入。横浜ファンですが、野球ファンの方ならどなたでも。時折、ボクシング等の記事も書きます。/お笑い・音楽関連の記事はこちら→http://agemomi2.exblog.jp/


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