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「歴代最高野手」は誰だ?

少し前になるが、1月初めに、テレビ朝日で「プロ野球総選挙」という番組が放送され、ファン投票による「歴代の凄いプロ野球選手」として、野手・投手それぞれのベスト20が発表された。
まだプロでの実績が浅い大谷翔平が投手部門で1位、さらに野手部門でも4位となったこともあり、Twitterなどの反応を見るとその順位に疑問を投げかける意見も多かったが、こうしたファン投票では、最近の選手・また少し前の選手の順位が高くなることは致し方ないところはある(昨年同じくテレ朝で放送された「プロレス総選挙」を見ても、今回の結果はある程度想像できたところもあった)。

同番組での大谷の順位に対しての評価はここではしないが、今回のアンケートでポイントだったのは2つあると思う。
一つは、番組の発表によると、アンケートの対象が「10代から50代まで」であったこと(各世代2000人ずつの総計10000人)。つまり、これまで野球をよく見てきたであろう60代・70代は入っていない。
この「上の世代を対象としなかった」ことについては様々な意見があるだろうが、ともすると「若いファンがついてこれない」ランキングになることは避けるという部分では一つの方策ではあったと思う(そうしたなかでも、稲尾和久氏が投手3位に入っていたのはかなり意外だったが)。
もう一つのポイントは、投票する側が、質問を単に「凄いプロ野球選手は誰?」ととらえたのか、それとも「歴代の選手のなかで、凄いプロ野球選手は誰?」ととらえたのか。実際のアンケートの聞き方がどうだったかはわからないが、前者と後者では答える内容はだいぶ異なってくる。単に「凄いプロ野球選手は?」と聞かれた(orとらえた)とすると、今後の可能性も含めて「大谷翔平」と答えることも不思議ではない。

さて、本ブログでは以前、『「歴代最強投手」は誰だ?』という記事を書いた。
さすれば(^^)、今回は、個人的に考える『「歴代最高野手」ベスト10』を挙げていきたいと思う。

ちなみに、対象期間は、歴代最強投手のときと同じく、自分が野球を見始めた1982・83年頃から現在までとする。


10位 菊池涼介(広島)

プロでのキャリアはまだ6年ながら、歴代の捕殺数ベスト3を独占するなど、あの驚異的な守備範囲を見せつけられてはランキングに入れざるを得ない。1試合に必ず1度以上は「おおっ」と思わせるプレーを見せてくれるという意味では、まさに「プロ」の野球選手と言える。今まで「名手」と呼ばれるセカンドは数多くいたが、レギュラーを掴んで以降のその守備は歴代No.1と言っていいだろう。
ただし、2017年は守備力を測る指標の一つと言われるUZRが大きく下がり、捕殺数も、前年に比べ100以上減った。その類まれなる身体能力をベースにしていると思われるプレーが多いだけに、30歳が近くなり、今後、スタイルチェンジを迫られる可能性も出てくるだろう。
ファンとしてはもちろん、見る側を魅了するプレーを30代になってからも見ていたい。更に確固たる選手になっていくには、ここ数年が菊池の正念場かもしれない。


9位 飯田哲也(ヤクルト-楽天)

90年代の「強いヤクルト」を支えた選手の一人。その肩の強さ、そして守備範囲、さらには跳躍力は桁外れのものがあった。
なかでも印象に残るのが、東京ドームのフェンスの一番上までジャンプしたシーン。何かの番組で、飯田本人が言っていたが、本気で「東京ドームのフェンスを越えるボールを捕ってやろう」と思っていたとのこと。その発想には恐れ入る。
なお、今はスポーツ系芸能人の大会となっているTBSのスポーツNO.1選手権だが、まだプロスポーツ選手が主な出場選手だった時代には、並み居る他競技の選手たちを抑えて、二度の総合優勝を果たしている。歴代の外野手では、イチロー、新庄など抜群の守備力を誇る選手も数多くいるが、「印象度」の点ではNO.1の外野手。


8位 ロバート・ローズ(横浜)

横浜での8年間で、3割を逃したのは一度のみ(その一度も .296)。しかも、年々その打撃は凄みを増し、99年には、打率.369、37本塁打。そして歴代2位となる153打点を記録した。追い込まれても、高確率でバットに当て、かつ右中間方向にも長打を打てるその技術は素晴らしいものがあった。
NPBの通算打率歴代1位はレロン・リー(ロッテ)の.320だが、これは4000打数以上の選手が対象。ローズは3929打数と4000打数にわずか71足りないが、通算打率は.325なので、あと1シーズンプレーしていればリーの記録を大きく超えて1位となっていた可能性が高い(その上にイチローという、さらに特別な存在もいるが…(NPB通算3619打数で、通算打率.353))。
なお、守備面では「セカンドとしては守備範囲が狭い」とする見方もあったが、横浜ファンの一人としては、深い位置から膝をつきながらノーバウンド送球でアウトにするプレーも含め、その肩の強さでたびたびチームのピンチを救ってくれた印象が強い。
在籍後期は毎年のように契約問題で揉め、2年のブランク後に入団したロッテでは春季キャンプ中に引退、ということで多少印象が悪くなってしまった感はあるが、セカンドを守れることも含め、NPB史上でも一二を争う貢献度の高い選手だったと思う。


7位 秋山幸二(西武-ダイエー)

走・攻・守すべてにおいて、高いレベルを保持したプレーヤー。通算437本塁打・303盗塁、ゴールデングラブ賞11回という数字が、その全方位的な能力を表している。NPBではまだ達成されたことがない、シーズン40本塁打・40盗塁にあとわずかまで迫ったこともあった(87年:43本塁打・38盗塁、90年:35本塁打・51盗塁)。確率という意味ではシーズンによって打率の高低がある選手ではあったが、日本シリーズでの活躍(二度のMVP)をはじめ、印象的な一打も数多く放った。
秋山を代表するプレーと言えばやはり「バック宙」。有名な日本シリーズの広島戦での同点弾以外でも何度か披露しているが、秋山以降、その後継者が現れないところにも、秋山という選手が稀有な存在であったことが表れている。「鉄人リストで狙え~」の応援歌も含め、子ども心に「格好いい」と思う選手でもあった。


6位 古田敦也(ヤクルト)

90年代のプロ野球を代表する選手、そして「キャッチャー」という存在を改めて大きくクローズアップさせた選手。
まずは、言い尽くされているが、そのキャッチング。投げた瞬間は明らかにボールだと思った球でも、古田が捕った瞬間ストライクに見える。そう言っても大げさでないほど、そのキャッチングは見事だった。
そして肩。3割台後半でも「盗塁阻止率が高いと言われる」昨今、93年には驚異の盗塁阻止率.644(シーズン記録歴代1位)。その他のシーズンでもほぼ4割5分を超えており、その肩を警戒してか、相手チームの盗塁企図数自体も50~60台(近年は総じて80~120程度)と、おしなべて少なかった。
そしてリード。特に90年代、優勝を争った巨人の主力相手のリードは見ているファンを唸らせるものがあった。それこそ、先発の主力投手はもとより、山本樹のような中継ぎ投手のときのリードこそ、古田の真骨頂と言えたかもしれない。
最後になったが、打撃でもここぞというときに殊勲打を放つなど、主力としての活躍を見せた。通算打率は.294。この頃から、城島などの存在もあり、「打てるキャッチャー」が台頭してきた。大学・社会人を経ての2000本安打達成は、古田が初。
なお、選手兼監督退任後は、タレントとしての活動が目立つ感もあるが、選手会長時代の実績を考えるともう一度、野球界の内部の立場で、野球関連の要職に就いてほしい人物でもある。


5位 内川聖一(横浜-ソフトバンク)

ヒットゾーンにボールを持っていくことにかけては、自分が見てきた右打者のなかで一番と言ってもいい選手。ストレート系のボール、また、いずれの変化球に対しても対応できるその技術は、高度すぎるがゆえに、もしかしたら誰でもまねできるものではないかもしれない。横浜で打ちまくっていたときは、ストレート系のボールはセンターから右方向へ、曲がりの大きい変化球はバットに乗せる形でショートの頭の上(あるいは左中間)に運んでいたイメージがある(2008年に記録した打率.378は、右打者の最高打率)。また、あえて完全にはミートさせず、こすったような打球にしてライト前へ落としている(ように見える)打球も、内川ならでは。
これまでシーズン20本塁打以上を打ったことはないが、長打を狙おうと思えば狙えるところも凄い。その技術が最も発揮されたのが、2017年日本シリーズ、土壇場で山﨑康の内角へのツーシームをホームランにした一打だろう。
2017年オフに、ソフトバンクと新たに2年契約を結んだとのことだが、個人的な希望を言えば、そのバッティング技術がメジャーで通用するのかを見てみたかった。両リーグでの首位打者、四度の日本一など、日本野球であらかたの栄冠は手にした感もあるので、MLBを実際に体験しての内川の感想も聞いてみたいのだが…。


4位 松井秀喜(巨人-ヤンキース-エンゼルス-アスレチックス-レイズ)

この後で紹介する外野手とともに、90年代・2000年代の野球界の象徴といえる選手だろう。「巨人」の四番でありながら、他チームのファンにも愛され、スターが居並ぶヤンキースでも、7年間、主力の座を張った(うち2年は故障により、100試合以下の出場に留まったが)。メジャーでは、ホームランバッターという位置づけではなかったとのことだが、MLBでコンスタントに25本塁打・100打点以上を挙げることができる日本人野手が、果たして今後出てくるだろうか。
なお、日米それぞれの成績(ともに在籍は10年)は、NPB(1268試合出場)が打率.304・332本塁打・889打点、MLB(1236試合出場)が打率.282・175本塁打・760打点。両リーグでの成績を総計することの是非はもちろんあるが、あえて参考のために総計して歴代の順位(日米合算での)に当てはめると、507本塁打(歴代7位)・1649打点(歴代4位)・2504試合(歴代10位)となる。
入団3年目ぐらいまでは、まだ凄さと脆さが同居するバッティングだったが、次第に脆さが影を潜め、NPB最終年は手の付けられない打者となった(打率.334・50本塁打・107打点)。その現役生活のハイライトは、2009年、ワールドシリーズでMVPとなる活躍かもしれないが、巨人時代、MLB時代と、どんなときでも試合後のインタビューに応じる姿は、プロ選手としての鑑とも言えた。また、読売・朝日など一般紙の一面を飾れる選手である一方、東スポの一面も張れるキャラクターも魅力。「巨人の四番」を張った選手でありながら、日本の野球界にはびこっている風習やしがらみを感じさせないところは、いい意味で「『自分』というものの強さ」を感じさせた。
なお、今後、日米両リーグの頂点を見てきた経験を生かして、「日本の野球ファンを増やす」役割を担ってほしい野球人でもある。


3位 落合博満(ロッテ-中日-巨人-日本ハム)

「三冠王に三度輝いた天才打者」というのが、その凄さを最もわかりやすく紹介するフレーズかもしれないが、そうした言葉だけで表現するのは物足りないほど、深遠な打撃を見せてくれた選手。その打撃を目にする機会はセ・リーグへ移籍したことで格段に増えたが、幾度となく見せた「ここぞ」という場面でのバッティングは深く記憶に刻まれている。横浜ファンとしては、中日在籍時代、全盛期の佐々木からいとも簡単にサヨナラ本塁打を打った試合が忘れられない。その他にも、オールスターで飛ぶ鳥を落とす勢いだったルーキー野茂のストレートをスタンドに叩き込んだシーンも印象深い。
独特のフォームから、力の抜けたスイングで、しかしスタンドに軽々と放り込むその打撃は、今思えば「魔法」のようでもあった。なお、以前、落合が週刊ベースボールの連載で、自身の打撃フォームの手本として土肥健二氏(ロッテ)のフォームを挙げていたが、確かにその実際の写真を見ると、落合のフォームにそっくりだった。
通算成績は、打率.311(NPB歴代7位)・510本塁打(同6位)・1564打点(同5位)。ボールを最後まで見極める技術も際立っており、1475四球は歴代2位の記録。また、プロ入りした年齢が高かったということもあるが、40歳での巨人移籍、44歳までの現役生活と、年齢を重ねても他の追随を許さない技術で、主軸打者としての姿を見せ続けた選手だった。


2位 イチロー(オリックス-マリナーズ-ヤンキース-マーリンズ)

ジュニアオールスターでホームランを放ちMVPを獲ったときは、正直ここまでの選手になるとは思わなかった。「パンチ(佐藤)」とともに、「鈴木一朗」から「イチロー」に登録名を変更したときも、「あのジュニアオールスターでMVPを獲った選手を、いよいよチームとして本腰を入れて育てていくのかな」ぐらいの印象だった(当時は、全試合CSで見ることができる現在とは違い、少なくとも関東ではオリックスのペナントでの戦いを目にする機会はかなり限られていた)。
その後、その選手は、記録という記録を悉く塗り替えていく。そして、それは海を渡ったMLBでも同じだった。
イチローの残してきた通算記録については、ここでは敢えて触れない。この記事を書いている段階では、まだ今季の所属先は決まっていないが、イチローが口にしていると言われる「50歳まで現役生活」を実現してほしいと切に願っている。
イチローの凄さを表すエピソードは枚挙に暇がないが、NPB、MLB時代で一つずつ挙げるとするならば、NPB時代は連続無三振記録。そしてMLB時代は、やはり歴代最多となるシーズン262安打が強い印象を残す。
NPB時代に達成した連続打席無三振216の記録は、いまだ破られていない。その記録を止めたのは、当時日本ハムに在籍していた下柳。三振を喫した翌日は、「イチロー三振」の記事が各スポーツ誌の一面にデカデカと載っていた記憶がある。ただし、イチローの凄さは、後にその下柳が当時のことについて語った記事(スポニチアネックス)のなかにある。その記事によると、連続無三振記録の間、イチローが2ストライクまで追い込まれたのは66打席。そしてそれらの打席の最終結果は、58打数29安打7四死球1犠飛で、打率5割(!)。さらに、216打席の間、空振りをしたのは、わずか8回とのことである。
そして、MLBで2004年に記録したシーズン262安打。記録達成時にもクローズアップされたことだが、ベスト10のなかでイチロー以外はすべて1930年以前の選手。それこそ、50年後のプロ野球ファンは、イチローの262安打という数字を見ても、それが現実にあったこととはにわかに信じがたいかもしれない。
また、イチローという存在を、記録とともに際立たせているのは、その「コメント力」。それを発する場はかなり限られてはいるが、試合で見せるプレーの質の高さによる説得力が、それらのコメントに、より重みを与えている。
話を「今」に戻す。「過去の常識」や「合理的なチーム作りの論理」を持ち出せば、44歳のイチローは獲るべき選手ではないかもしれない。しかし、その身体と精神で未知の領域を開いてきた偉大な選手が、40代半ばを超えてなお、新たな世界を切り開く姿を、自分は見たい。


1位 ランディ・バース
(阪神)

今回の選出は、「歴代最強打者」ではなく、打撃以外の「走」「守」の部分も対象にした「歴代最高野手」なので、本来はイチローを1位にすべきかもしれない。
しかし、2年連続の三冠王。打率.350・54本塁打・134打点(85年)、打率.389・47本塁打・109打点(86年)という破格の成績を残したこの選手を1位とした。それぐらい強烈な「記憶」と「記録」を残した選手だった。
今でも語り継がれる1985年の阪神初の日本一。王貞治のシーズン本塁打55本の日本記録まであと1と迫る54本塁打を放ったその打撃は凄まじかった。さらに翌86年は、さらに手のつけられない成績を残す。打率.389は、イチローも破れなかったNPB歴代最高記録。さらに47本塁打を放ったその打撃の前に、当然、相手投手も四球が増え、出塁率は.481と、ほぼ2回に1回は出塁している計算に。なお、0.9以上でAランクとされるOPS(出塁率+長打率)は、驚異の1.258(この上を行くのは、1974年の王貞治のみ)。しかも、ライトへの引っ張った当たりだけではなく、外角の際どいボールでもレフトスタンドへ叩き込める「パワー」と「技術」を併せもったバッター。正直、相手チームのファンからすると、ヒットで済めば御の字。シーズンの一時期だけならいざ知らず、シーズン通してそこまでの気持ちにさせたのは、自分が見てきたなかでバースただ一人と言ってもいい。
6年間の通算打率は.337。投手の指から放たれたボールを、ピンポン玉のようにスタンドへ運ぶその姿は、現役引退から30年経ってもいまだに脳裏に焼き付いている。
さらに付け加えるなら、無双を誇った82年~92年の西武(11年で9度リーグ優勝。うち日本一8度)を唯一打ち負かした日本シリーズでの3戦連続本塁打、そして第2戦でのバックホーム本塁封殺のプレーも忘れられない。

※「歴代最高野手 追記

by momiageyokohama | 2018-01-25 02:23 | 野球(全般) | Comments(0)

「読んだ方が野球をより好きになる記事」をという思いで、20年目に突入。横浜ファンですが、野球ファンの方ならどなたでも。時折、ボクシング等の記事も書きます。/お笑い・音楽関連の記事はこちら→http://agemomi2.exblog.jp/


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