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「星野仙一氏、死去」で思ったこと

そのニュースは突然だった。

星野仙一氏、死去

率直に、ショックだった。
阪神の監督時代から健康の不安が囁かれることも多かったが、映像で見る限り、昨年のドラフトでも、普段と変わらない出で立ちで楽天の席に座っているように見えたので、あまりにも突然の死だった。

90年代から2000年代、そして2010年代初めにかけてのプロ野球において、星野仙一氏、そして野村克也氏の2人の野球人が果たした役割は、もの凄く大きいと思う。
この2人がいたからこそ、プロ野球が盛り上がり、そして、“彩り”のあるものとなったのではないか。

自分が野球を見始めた頃はすでに現役時代晩年だったこともあり、星野氏の最初の印象は、NHKの「サンデースポーツ」のキャスターとしての活躍だった。
元プロ野球選手でありながら、堂々と進行を務めるその姿に、「凄い人だな」と圧倒された記憶がある。

その後、中日の監督に就任。監督2年目の1988年にはリーグ制覇。星野監督がストッパーに指名した郭源治が、マウンドで躍動していた光景が懐かしい。
監督復帰後の99年にもリーグ優勝。88年の優勝時の主戦は小野(和幸)だったが、99年の時の主戦は野口(茂樹)だった。

そして、2002年、阪神の監督へ電撃就任。
過去7年で6度最下位だったチームを、就任2年目で18年ぶりのリーグ制覇に導く。
確か、このときは、就任2年間で3分の1ほどの選手を入れ替えたと記憶している。チームを根本的に変える存在として金本を広島から引っ張ってきたことなども含め、GM的能力も非常に持った監督だったと言える。

その後、就任した北京五輪の日本代表監督では、アジア予選こそ突破したものの、本戦では、メダル獲得ならずという結果に。

しかし、監督就任3チーム目となった東北楽天で、またもリーグ優勝(2013年)。そして4度目の日本シリーズにして初の日本一をつかむ。
ともすると、中日監督時代の鉄拳制裁という部分がクローズアップされがちな星野氏だが、楽天時代はそうした指導はほとんど無かったという話もある。
「戦う姿勢」という根っこの部分は変わらなかったにせよ、そのあたりの柔軟な所が、四半世紀を過ぎても(監督として初めての優勝から楽天優勝までの歳月は、実に25年)、指導者としての力量を鈍らせることなく保っていられた要因ではないか。

なお、北京五輪の監督時には、相当に叩かれた星野監督だが、個人的には、監督の采配云々というより、様々な要因が重なっての戦力不足だったという印象が強い(当時のレビュー(123))。
むしろ、代表の一次候補に、鈴木義広(中日)のような選手を入れていたところに、その鑑識眼の深さを感じた。

死去後、繰り返し流された星野氏の映像のなかでは、プロとアマチュアの一本化、オリンピック代表へのアマチュアの参加など、今後の野球界全体に対する熱い思いも語られていた。
長年、プロ野球ファンである人のなかには、「自分ほど、野球が好きな人はいない」と思っている人も多いだろう。自分も、その一人である(^^)。
ただ、悔しいけれど、星野氏の野球の思いには勝てないかもしれない。
それほど「野球が好きだ」という気持ちが伝わってくる、野球人だった。

一方で、それほどの野球への思い、さらには、成し遂げたいと思うビジョンを実際に実現できる力を持っている人が、今の野球界にどれだけいるのだろうという懸念もある。

星野氏は、野球が好きで好きで仕方なかった人だと思うが、野球界の他のスポーツに比べ恵まれている現状にあぐらをかいている人ではなかった。
逆に、もの凄い「危機感」を感じていたのではないかと思う。

「野球があって当たり前」という時代ではなくなった今、今回のショックなニュースは、野球が、より人々を魅きつけるものとなるにはどうしたらいいのかを、今一度考える契機にすべきなのかもしれない。


by momiageyokohama | 2018-01-09 01:23 | 野球(全般) | Comments(0)

「読んだ方が野球をより好きになる記事」をという思いで、21年目に突入。横浜ファンですが、野球ファンの方ならどなたでも。時折、ボクシング等の記事も書きます。/お笑い・音楽関連の記事はこちら→http://agemomi2.exblog.jp/


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