「よくぞここまで。」 横浜DeNA、CS初進出。そして……
2016年 09月 21日
この2日間、ジェットコースターのように心揺れた横浜ファンは多かったのではないでしょうか。
この激動とも言える2日間のすべてを書くことはできないので、三浦投手に関する事は、また次の機会に書きたいと思います。
昨日、雨の降りしきるなか、初のクライマックス・シリーズ進出。そして、11年ぶりのAクラスを決めた横浜。
5年前の2011年オフ、チームは、上が全く見えない泥沼の底といってもいい状態でした。
4年連続最下位。しかも、すべて勝率3割台。さらに2002年までさかのぼると、10年中、実に8度の最下位。
“横浜大洋銀行”と揶揄された80年代、そしてAクラス入りもなかなか叶わなかった優勝前年の97年以前の「横浜」時代でも、ここまで弱くありませんでした(関根監督~大矢監督1年目までの1982~96年の15年間でAクラス入りはわずか2度も、最下位は3度に留まる)。
横浜が長期低迷期に入り始めた頃は、球界で球団再編問題が起きた時でもありました。結果的に「東北楽天」という新球団が誕生して12球団制は維持されますが、長い歴史を誇った「近鉄」球団は消滅してしまいました。
かなり前になりますが、優勝する1998年以前の話。正月の日刊スポーツの紙面に、横浜(もしかしたら大洋時代だっかたかも)とオリックスとの合併話が載ったことがありました。
実際には表立った動きは無かったのですが、「自分が応援する球団がなくなるかもしれない」ということに、結構な衝撃を受けた記憶があります。
ただ、横浜が大洋時代から人気が無い球団だったというのは、紛れもない事実でした。
夏場や土日のデーゲームでこそ観客が入るものの、300万人以上の人口がいる大都市にもかかわらず、平日のスタンドは、外野席の一角を除けば、空席が目立つ光景。
ある意味、“マイナーな存在”であることが、「大洋(横浜)を応援する理由」であったりするところも否定はできないのですが(^^)、誤解を恐れずに言えば、「これだけ地元の人たちに関心を持たれていない球団も無い」といっていい状況が、現実にあったと思います。
それでも、98年の優勝前後は、観客動員も増えました。
しかし、頼るべきものがないパ・リーグの各球団が、ファンサービスに力を入れ、徐々に観客動員を増やしていくのに対し、球団幹部が公然と「交流戦などで巨人戦が減らされたりしたら放映権料が減って困る」と、まったくもって、他チーム頼みの経営を続ける球団が、観客数を減らしていくのは自明の理でした。
それが招いたのは、その巨人戦ですら観客シートの色ばかりが目立つという惨状でした。
今日の日刊スポーツに掲載されていた、2005年のスタンド、そしてCSを決めた昨日のスタンドの比較は、あまりにも対照的な「画」です(比較されていたのは、2005年6月10日、オリックスとの交流戦のスタンド)。

思えば、このブログを始めて12年。横浜については、愚痴ばかり書いてきたようにも感じます(^^)。
横浜(大洋)を応援するようになって30年以上経ちますが(参照:「横浜・大洋・DeNA」33年史」)、これまで3度ほど「ファンを辞めよう」と思いました。
1度目は、名将との呼び声が高かった古葉監督をもってして最下位に終わった89年。2度目は、スタートダッシュこそ成功したものの、その後は5月以降、ずっと低迷し続け、結果5位に終わった大矢監督(第1次)1年目の96年。ただ、その2回はファンを辞めずに踏みとどまりました。
しかし、3年連続最下位に終わった2010年。さすがに、「次の年、最下位だったらファンを辞めよう」と思いました。
明らかに補強策を間違えているチームフロント、そして、その陰に見え隠れする球団の閉じた体質、そして、随所に「緩み」が垣間見られる選手たち。「ファンとして」というより、自身が社会人として仕事をしている立場から見て、「プロとしての仕事をしていない人たち、そして組織」をこれ以上応援する気にはなれませんでした。
そして2011年、横浜は最下位に終わり、ファンを辞めることにしました。
しかしそのオフ、横浜は「球団買収」という劇的な変化を迎えることになります。GMには、日本ハムでその手腕に定評のあった高田繁氏。そして、監督には、交渉が不調に終わった工藤公康氏の次の候補として名前が挙がった中畑清氏。
明らかに、前年とは違うシーズンも予想された2012年でしたが、前年に「辞める」と決めたこともあり、2012年は客観的な眼で横浜を見ることにしました(実際、2012年は、横浜に関する投稿は少なかったように思います)。
そして迎えたホーム最終戦。球場で、中畑清監督による挨拶、というより、大演説を聞きました。
「魂の叫び」とも感じられたこのスピーチで、自分は再び横浜ファンに戻る気持ちになったかもしれません。
続く2013年は、6年ぶりに最下位を脱出し、5位となりました。勝率4割台となったのも6年ぶりでした。
2014年は、序盤に大きく出遅れたものの、その後持ち直し、CS争いをするまでになりました。結果は5位だったものの、30~40が当たり前だった借金も、8にまで減りました。
2015年は、前半戦、17年ぶりに、セ・リーグ首位で折り返しました。ただし、勝率5割での首位でした。最終的にチームは最下位まで落ち、中畑監督はチームを去りました。
そして2015年オフ、球団は、NPBではまだ指導歴の無いアレックス・ラミレス氏を監督に迎えました。
ただし、本人が選手時代から「指導者になりたい」という明確な意思を持っていたなかでの監督就任でもありました。
横浜(大洋)という球団は、他球団で“名将”と言われる指導者が就任しても、悉く上手くいかなかった歴史があります。その責任は、当然、指導者側だけでなく、球団の体質にもあったと思います。
しかし、球団は変わりました。そして、ニュースなどで伝え聞くところから推測するに、それら“名指導者”と言われる人たちとラミレス監督が違ったのは、コミュニケーションの“量”、あるいは“質”だったのではと思います。
一方、選手に目を移すと、筒香が今季たびたび発する「おっ」と思わせる発言は、正直、数年前では考えられないものでした。そして、投手では石田、新加入の今永、さらには須田、野手では倉本、桑原、宮﨑、そしてルーキー戸柱…。開幕前のブログで「『成長』の部分に期待をして見ていくシーズン」と書きましたが、今永はともかく、これらの選手がこれほどの活躍を見せてくれるとは思いませんでした。
それらの選手を獲得してきた球団フロント・スタッフの努力も、当然忘れてはいけないものでしょう。外国人選手の獲得については、まだ大きな宿題が残されてはいるものの、ここ数年、飛躍的に上がった新加入選手の活躍度は、徐々に戦力アップしてきた横浜の屋台骨を支えているといってもいいと思います。
なお、TBS最終年の2011年と今季2016年の、一軍出場メンバーを比べると、下記のとおりになります。
【2011年】
〔先発〕
高崎 三浦 須田 山本省 国吉 リーチ 小林太 清水直 大家 眞下 加賀美
〔抑え・中継ぎ〕
山口 江尻 藤江 牛田 大原慎 篠原 真田 加賀 ハミルトン 福山 ブランドン 佐藤祥 大沼 小林寛 小杉 阿斗里 ゴンザレス 田中
〔捕手〕
細山田 黒羽根 武山 新沼
〔内野手〕
村田 石川 渡辺直 ハーパー 藤田 筒香 中村紀 一輝 稲田 山崎憲
〔外野手〕
スレッジ 金城 下園 吉村 内藤 森本 松本 荒波 北 井手 桑原義 早川
【2016年】 (9月20日現在)
〔先発〕
井納 石田 山口 今永 久保康 モスコーソ ペトリック 砂田 三嶋 三浦
〔抑え・中継ぎ〕
山﨑康 三上 須田 田中 ザガースキー 加賀 小杉 熊原 大原慎 藤岡 久保裕 野川 福地 ブロードウェイ 長田 平田 国吉
〔捕手〕
戸柱 髙城 嶺井 西森
〔内野手〕
ロペス 倉本 宮﨑 石川 白崎 エリアン 山下幸 後藤 柳田 柴田 飛雄馬 白根
〔外野手〕
筒香 桑原将 梶谷 関根 下園 乙坂 荒波 ロマック 井手 松本
(※赤字は両年とも(横浜で)一軍出場。太字は主力クラス)
こうしてみると、両年とも主力クラスとしてプレーしているのは、山口、そして今季は成績を大きく落としている石川の2人のみ。
2016年に一軍に出場した53人中、2011年以降に入団した選手が38人を占めます(※梶谷は2011年一軍未出場も、2009・2010年に一軍出場あり)。特に、キャッチャーの顔ぶれに、その「変化」が感じられます。
さらに、太字で書いた主力投手・野手に絞ってみると、17人中11人がDeNAになってから獲得した選手。
特に先発投手の安定度は、ここ5年でぐっと増しました。規定投球回に達した投手が高崎のみ、5勝の高崎(15敗)・三浦(6敗)がチーム最多勝、先発ローテの顔ぶれが2勝11敗の山本省吾、1勝7敗のリーチ、0勝6敗の大家であった2011年から考えると、隔世の感があります(2011年当時は、負けが込んでも、他に投げられる投手がいなくて投げざるを得ないという状況でもあった)。
そして、最初の話に戻りますが、ここ5年で1.7倍以上の主催試合観客動員増を果たした、球団の営業努力。
(2005年 97万6004人)
2011年 110万2192人(TBS最終年)
2012年 116万5933人(DeNA初年度)
2013年 142万5728人
2014年 156万4528人
2015年 181万3800人
2016年 188万2257人(ホーム2試合残しての数字)
池田球団社長が何かの記事で言っていましたが、関内駅は長年、横浜スタジアムへの玄関駅にもかかわらず、横浜の存在など無いかのような駅の風景でした。それが今では、遠く離れた西武線までも、横浜DeNAベイスターズのラッピング電車が走るほど、様変わりをしました。
「誰も関心を持たない球団」から「何か気になる球団」へ。
その理想のゴールは、まだまだ先かもしれませんが、現在、その道のりの真っ只中にあることを実感しつつ、今回の記事は、ひとまずここで終えたいと思います。



























