オリンピックを観て感じたスポーツの「難しさ」と「面白さ」
2016年 08月 24日
今回のオリンピックは、時差の関係で、なかなかリアルタイムで見られることができず(特に、決勝・準決勝に類する試合)、「朝起きて結果を知る」ということが多かったですが、それでも、日本代表の選手たちが今までよりもさらに上位のステージでプレーをした種目も多く、見どころの多いオリンピックだったように思います。
また、そうした世界上位のカテゴリーでプレーする日本代表の選手たちの姿を見ることで、「スポーツというもの」を改めて考えさせられた大会でもありました。
そのなかで、何となく感じた「スポーツの流れ」みたいなことを、少し書いていこうと思います。
1. 技術を身につけるまでのアプローチの多様さ
オリンピックとなると、こと「精神面」が強調されがちですが、相手に勝つ、あるいは上位となるためには、当然「高い技術」が必要になるでしょう(もちろん、そのベースに「その技術を可能とする肉体」も必要ではありますが)。
ただ、国際大会の上位、さらにはトップに至るまでの技術を身につけるまでのアプローチは、選手、指導者、さらには種目によって様々だと思います。
同種目で好成績を残している他国の指導者を招いているケース(卓球、バトミントンetc)もかなり多くなりましたし、柔道の藤井裕子ブラジル代表コーチのように、日本人が日本以外の国で他国の選手を指導するというケースもあります。
また、同じ技術を身につけるにも、その人の体格や体の特性などによって、するべき練習やトレーニングが違う、ということもあるかと思います(廣戸聡一氏が提唱している「4スタンス理論」(人の体の動かし方を4類型に分けて、それぞれに別のアドバイスをする)などは、その象徴的なものでしょうか)。
ただ、そのいずれがベストなものかというのは、最初からはわかりません。ベスト、あるいはベターなものを見つけられずに、競技人生を終える選手も相当数います。さらに、キャリアを積んでいくなかで、やり方を変える必要が出てくることもあるでしょう。そうした「結果」の裏にある「過程」こそが、スポーツの「難しさ」であり、逆に「面白さ」でもあるかもしれません。
2. 自分のプレーの客観視
これは、すべてのトップ選手に共通するということではないかもしれませんが、スポーツにおいて「『自分がどのようにプレーしているか』を自分自身が頭のなかでイメージできる」という「感覚」の高さは、スポーツ選手としての「能力」の高さにつながるところがあるかもしれません。
例えば、スポーツの場合、他の人のプレー(テレビや現場観戦だけでなく、市井のスポーツのレベルでも)を見ていると、次第に「この部分の能力が高い(低い)から○○の結果になる」というものが見えてきたりします。さらには、様々な技術的視点を身に着けることで「ここをこうすればこうなるのに」という部分まで見えてくることもあります。
ただ、今度、それを自分が体現しようとなると、まあ難しい(^^)。
結局、自分のプレーしている姿は自分の眼では見えません。そこで、自身のプレーしている映像を見直すことの大事さが出てくるかと思いますが、それでも、その後、そうした映像をふまえての修正点を実際のプレーにおいて直すというのは、かなり難しい……はずですが、トップ選手になってくると、自分がどのようにプレーしているかというのが、自分の頭のなかで見えているというケースもあるのではないか?と思います。
そうなると、プレーヤーとしては強い。自身のメカニカルな部分でズレが生じたとき、頭の中でそれを修正して、それをプレーの修正にもつなげることができるわけですから。種目によって、この「自身のプレーのイメージ化」の重要性の高低は違ってくるかもしれませんが、水泳・陸上など、他の選手との直接対戦というよりも、自身の体の動きがそのまま成績に直結するような種目の場合、こうした「イメージ化」の力がより重要になってくるように思いますが、実際はどうなのでしょうか。
3. プレーのブレのなさ
1のところで、「精神面」よりもまず「技術」が重要というようにもとれる書き方をしましたが、もちろん、精神面が重要なのは言うまでもありません。
それは、オリンピックの、それこそメダル争いをするようなレベルの戦いを見ると、非常に強く感じます。
ただし、「精神面が強いから勝てる」「精神面が弱いから負ける」といった単純なこと、というわけでもないようにも思いました。
すでにどこかで言われていることだと思いますが、「精神面が強い」という抽象的な表現ではなく、「精神面が強い」ということは、言い換えれば「ブレが少ない」ということになるでしょうか。要は、プレーする心の上に「プレー(技術)」が乗っかっていると仮定すると、その支えになっている「心」がぐらぐらしている選手は、プレー(技術)の高低が安定しない。逆に、その「心」がどっしりと安定している選手は「プレー(技術)」がその「心」に影響されることなく、高いレベル(あるいは、その人が本来持っているレベル)で持続する(以前、辻秀一氏(スポーツドクター。著書に「スラムダンク勝利学」)の話を聞いたときに、「セルフイメージ」という概念で、そうしたことを説明していましたが)。
今回、リアルタイムでは、バトミントンの女子ダブルス決勝、卓球の女子シングル準々決勝、テニスの錦織の試合などを見ていたのですが、女子ダブルスの決勝の、高橋・松友選手の、試合開始当初からの落ち着き具合、そして試合全般を通じてのプレーのレベルのブレなさは凄いと感じました。
一方、錦織の場合は、日頃のATPツアーなどを見ていてもそうですが、結構、心の動きが顔に出やすい選手。絶体絶命の状態から大逆転を果たしたモンフィス戦の最後の戦いは見事でしたが、一方、3位決定戦のナダル戦では、第2セット、5-2とリードしてから、結果7-5でとられる展開になってしまいました。
なお、この試合、中継での右上でのテロップでは、錦織5-2とリードしたところで、「錦織、あと1ゲームでメダル」という文字が出ていましたが、テニスというスポーツは、結構「あと1ゲーム」というところからの逆転劇が起こるスポーツ(マッチポイントをとられてからの逆転という試合も間々あります)。それこそ、実際の選手が「あと1ゲームで」といったメンタルでプレーしているようではまだまだ甘いとも言えます。
チャンネルをまわしたを人にすぐに現況を知らせる“テレビ番組の視点”という意味では正解かもしれない「あと1ゲームで…」のテロップですが、「スポーツの伝え手」という側面から考えると、“格好悪い”テロップだと思いました。
4. 自分のプレーにおける、別の引き出し
最後に、メインの部分からは少し離れるかもしれない部分を。
オリンピックでの話ではないですが、以前、イチローがテレビ番組(確か『たまっち』だったか)で言っていた印象的な話がありました。
それは、自身の調子が悪い際に、それをごまかす「引き出し」のようなものがあるということ。その「引き出し」自体は本筋の技術ではないので、それを使うことは本質的な解決法ではないですが、ひとまずその「引き出し」を使うことで、苦しいところを凌いでいく、という話。
これに近いものというは、他の種目でも、トップレベルのスポーツ選手で持っている選手はいるのではないかと思いました。
柔道やレスリングのような格闘系の種目の場合、試合展開や相手選手によっては、自分の軸としている技術だけで相手を攻略できないこともあるでしょうし、他の種目でも、想定外の事態にもしかしたら使えるかもしれない、自分なりの「引き出し」というのは持っておくと便利なのかもしれません。
なお、今回書いてきた話は、オリンピックを観るなかで感じたことではありますが、もしかしたら、それは、我々、一般の草スポーツプレーヤー(あるいは、部活動をしている学生や子どもたち)が、スポーツをやっていくうえでイメージすると、さらにスポーツが楽しくなる部分のように思います。
また、スポーツをする機会が無い人でも、スポーツを「観る」なかで、単に結果だけでなく、「このスポーツ選手が、今どういうことを考えてプレーをしているんだろう」という部分に思いを馳せる際に、興味深さを感じられるところではないかと思います。
次の2020東京オリンピックは、今回以上に、メダルに関する報道が過熱しそうな雰囲気もありますが、結果や美談だけではない、スポーツの“過程”を「観る眼」や「語り合う議論」がさらに深まる4年間になってほしいですね。



























