スポーツ雑感 -錦織、千代の富士、和氣慎吾-
2016年 08月 03日
今週末からは、リオオリンピックも始まりますが、時差の関係もあるので、どこまで見られるでしょうか(^^)。
前回、「書きたいテーマはちょこちょこありますが…」と書きましたが、今回は、日頃書いている野球以外のスポーツにおけるトピックについて、気になったことなどを書いていきたいと思います。
【テニス】
先週末に行われた、テニスのロジャーズ・カップ。四大大会に次ぐ大会と格付けされる、このマスターズ大会で、初めて決勝に進出した錦織圭だったが、その決勝では、ジョコビッチに、3-6、5-7で敗戦。残念ながら、マスターズ初優勝はならず。
2回戦あたりでは、痛めている左脇腹をかばってか、まだ抑え気味に打っていた印象もあったが、その後は段々とサーブの速度も上がり、準決勝のワウリンカ戦では、傍から見ている分には、ほぼ100%の状態。決勝戦も、かなりいいパフォーマンスだと思ったが、それでもジョコビッチの牙城を崩すことはできなかった。
2ndセットで一度ブレイクバックを果たしたものの、最後、ほんのわずかなミスで、タイブレークに持ち込むこともできず。錦織自身も、おそらく手応えを感じるテニスが出来ていただけに、試合後、「どうしたら、ジョコビッチに勝てるんだろう」と思ったのではないか。
ただ、現状のランキングは、1位のジョコビッチが、2位のマレーの1.5倍以上のポイント、その2位のマレーも、3位以下の2倍近くのポイントを獲得している状況を考えると、このジョコビッチ、マレーの2人は、他の上位プレーヤーと比べても、数段上の状態にあると言えるかもしれない。
(2016年8月1日時点でのATP世界ランキング)
1位 ジョコビッチ 16,040
2位 マレー 10,065
3位 フェデラー 5,945
4位 ワウリンカ 5,035
5位 ナダル 4,940
6位 錦織圭 4,845
7位 ラオニッチ 4,465
(数字は、獲得ポイント)
なお、さきのロジャーズ・カップを含め、年に9回あるマスターズ1000の大会。
今年を含めた過去4年間の優勝者の内訳は、下記のとおり。
2013年 ナダル 5、ジョコビッチ 3、マレー 1
2014年 ジョコビッチ 4、フェデラー 2、ナダル 1、ワウリンカ 1、ツォンガ 1
2015年 ジョコビッチ 6、マレー 2、フェデラー 1
2016年 ジョコビッチ 4、マレー 1、ナダル 1 (※6大会消化時点)
いわゆる「4強」(ジョコビッチ、マレー、フェデラー、ナダル)が、33大会中31大会を制しており、改めてその牙城の高さを感じるとともに、そうしたステージで戦っている錦織の凄さも改めて感じる。
バックハンドに関しては、世界でもトップクラスと言っていい錦織。フットワーク、また試合中の戦術や、試合のコントロールに関しても、世界ベスト8内の選手というプレーを随所に見せてくれるが、逆に言えば、トップに近づいているだけに、これ以上伸ばすことのできるポイントが、段々と限られてきているともいえる。素人目には、フォアのダウンザライン的なショットをもう少し打てれば……という気もするが、錦織の体格を考えると、そこを伸ばすことでの手首などの故障のリスクも考える必要がある。
今後、さらにステージを上げるために、「チーム錦織」は、どんな進化を見せてくれるだろうか。
【大相撲】
千代の富士が亡くなった。
その全盛期は、ちょうど、自分がスポーツを見始めた時期。小さい体で、大きな力士を投げ飛ばすその相撲は抜群に格好よかったし、その後、筋肉の鎧を身にまとった姿で、若手力士を退けていく様は、まさに「横綱相撲」。野球が好きだったものの、特定の選手を応援していたわけではなかった自分にとって、小さな頃のヒーローと言ってもいいぐらいの存在だった(その頃は、結構、相撲を見ていて、千代の富士の他では、なぜか佐田の海(先代)が好きだったような記憶がある)。
そして、千代の富士と言えば、引退会見。
貴花田の敗戦を受けての突然の引退(厳密には、その後、貴闘力にも敗れているが)は衝撃的だったが、それまで「強さ」しか見てこなっただけに、会見での「体力の限界…。気力も無くなり…」のフレーズは、今後も絶対忘れることはないだろう。
そうした存在だっただけに、その後、時を経て週刊誌などで報じられた八百長報道には、やはりがっかりした。知ったときには、「強いのに、そんなことする必要ないだろう」と思ったが、「ガチンコでやっても強いことを相手もわかっており、そのうえで、敗戦のリスクを減じるため」というからくりを知り、その構造のある種の「深さ」を感じた。当時、知り合いの人が、「そりゃ、体重150キロ以上もある力士同士が、全取組ガチンコでやったら、とてもじゃないけど体が持たないだろう」と言うのを聞いて、妙に納得した記憶もある。
なお、大相撲の八百長を扱ったものに、元・大鳴戸親方(高鉄山)が書いた「八百長」(鹿砦社)という本がある。若干、取り上げられている時代は古いが、行われていたとする八百長の詳細な内容に加え、力士の下半身事情もかなり明け透けに書かれており、数あるスポーツ本の中でも相当インパクトの強い本である。そして、この本の著者と、証言を寄せている後援会の会長の2人が、本の出版直前、同じ日に同じ病院で亡くなっている(その扱いは、当時、週刊誌のほんの片隅程度だった気がする)。
この本の出版から17年経った2011年。ついに、八百長が、社会問題として、白日の下にさらされることになった。ただし、引退勧告を受けた力士のなかに、大関以上の経験者は含まれなかった。
その存続自体が危ぶまれることになった大相撲だが、そこから5年経って、見事にというか、人気を盛り返している。外国人力士が番付の上位を占めているなか、取り立てて日本人力士のスターが出てきている、という状況でもないと思うのだが、「力士」自体の持つ魅力が再びクローズアップされているということなのかもしれない。
「相撲」自体に焦点を当ててみると、琴奨菊が日本出身力士として10年ぶりの幕内優勝を果たして盛り上がった今年の初場所。優勝がかかった終盤、そのプレッシャーが仕切り線との距離に如実に出ていた様に、改めて、その「格闘技」としての面白みも感じた。
ただ、今の大相撲界に、本当に「注射」はなくなったのだろうか。
最後に。還暦の土俵入りを行った千代の富士の姿は、やはり「千代の富士」だった。
千代の富士の敵役という印象の強かった北の湖も、昨年亡くなった。同時代に活躍した隆の里も、60歳を前に亡くなってしまった。北尾は何をしているのだろうか。
北天佑、若嶋津、朝潮、琴風……。当時、舞台裏で何があったかはわからないが、その勝敗に心を躍らせたことも、まぎれもない事実である。
【ボクシング】
7月・8月・9月と、日本人の世界戦が続くボクシング界。
そのなかで、7月20日、ようやくチャンスを掴んだ和氣慎吾の世界戦は、最後、右目周辺がとてつもなく腫れた状態でのレフェリーストップという形で、幕を閉じた。
この時代にリーゼントという髪型に加え、学生時代には鑑別所経験もあるという、文字通り「成り上がり」とも言えるボクサー人生。世界戦のチャンスが何度なく流れたこともあり、心底“悲願”であったであろう世界戦だったが、残酷な結果となった。
試合後、号泣する和氣の姿には、世界戦が乱立する近年、忘れかけていた「世界戦の重み」を久々に感じた。
相手のグスマンは、21戦21勝21KOの戦績どおり、見るからに「強打」とわかるパンチの持ち主だった(BoxerRecの戦績を見ると、半分近くは、0~2勝のボクサー相手ではあるが)。若干粗さはあるものの、パンチの強弱もあり、世界レベルでも強豪と言えるボクサーだったと思う(最近は、ランキング上位でも必ずしもそのランキングと同等の選手ではないこともあるなかで)。
試合を見た人の意見のなかには、5回のダウン時に、試合を止めるべきだったという意見もあった。
ただ、そこから和氣も見せ場を作った。サウスポー特有の左ストレートの軌道、そしてその破壊力に、グスマンの動きが止まる場面もあった。
しかし、結果から言うと、パンチを打つ際のガードの低さが致命傷になったのは否めない。
弱い外国人相手に勝利を重ねるという手法で世界戦を狙う手法をとるボクサーもいるなか、東洋太平洋を5度防衛し、世界王座挑戦者決定戦という正当な手続きを踏んでの挑戦だったが、世界一線級レベルのボクサーと拳を交えていない弱さが露呈してしまった格好となった。
それでも、Number Webの記事にもあったが、その結末の残酷さに、「世界戦」のあるべき姿を感じたのも事実である。
以前に比べ、アマチュアで高い実績を残したボクサーが世界王座に就くというケースが多くなったことにより、「泥臭さ」が少なくなった感もある日本ボクシング界だが、ボクシングは、そのボクサーの「生き様」を見るスポーツでもある。
和氣慎吾は、また、リングでその「生き様」を見せてくれるだろうか。



























