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「歴代最強投手」は誰だ?

1月は、プロ野球ファンにとって、少し物足りない季節。
自主トレの話題こそあれ、書くネタ的にも少し不足がちな時期です。

そんななか、昨年の話になりますが、『村上信五とスポーツの神様たち』(フジテレビ)という深夜番組で、「日本球界最強の左腕は?」ランキングという企画をやっていました(実際に選んでいたのは、スポーツライターの安倍昌彦氏・キビタキビオ氏、元阪神スカウトの菊池敏幸氏の3人)。
ちなみに、ベスト3は、3位・山本昌、2位・岩瀬仁紀、1位・江夏豊でした。

なお、このブログでも、これまで「歴代ベストナイン」については書いたことがありますが、ベストナインの場合、各ポジション一人ずつということで、どうしても他の人と似たり寄ったりになりがち。
その点、「歴代投手ベスト10」といったセレクトだと、結構その人の野球観が出るので、面白いかもしれない……。

ということで、今回は、私的「歴代最強投手ベスト10」を挙げてみたいと思います(^^)。
ちなみに、対象期間は、自分が野球を見るようになった1982・1983年頃から現在まで。
さきの江夏は、日本ハム時代からしか記憶がないので、対象外に。また、こうした企画のときに必ず名前が挙がる江川(高校2年の時が一番速かったという話もありますが)も、自分が見始めた頃は既に「100球肩」と言われるようになっていたので、それより少し後ぐらいの時代からが対象となるイメージでしょうか。
選出にあたってのポイントは、「対戦チームに『これは攻略できない…』と思わせたであろう投手」。


10位 伊藤智仁 (ヤクルト)

90年代のプロ野球を見たファンとしては、やはり、この投手は入れざるを得ません(^^)。
在籍11年中、「一軍」の選手として活躍したのは、実質5年。
それでも、ルーキー時の投球は鮮烈過ぎました。14試合登板109イニングで7勝2敗という数字だけ見ると特筆すべき数字ではないかもしれませんが、防御率がなんと0.91。また、2敗には、16三振を奪ったものの、篠塚にサヨナラ弾を打たれて、0-1で負けた試合が含まれています。
もはや伝説と化しているスライダー、そしてストレートの伸びも凄かった。
また、ルーキーの年だけでなく、故障から4年ぶりにストッパーとして復活した1997年も、かなり素晴らしいボールを投げていました(成績は、7勝2敗19S・防御率1.51)。
以前、『有吉・マツコの怒り新党』の「新・三大○○」のコーナーでも、その鮮烈な投球(と、あまりにも色々なものが詰まった引退登板)が取り上げられていましたが、おそらくこの先、10年、20年経っても語り継がれる投手であることは間違いないと思います。


9位 斉藤和巳
(ダイエー・ソフトバンク)

このピッチャーも活躍した期間こそ長くはありませんでしたが、強烈な印象を残した投手。
実質的にブレイクしたのは8年目、と台頭するまで時間はかかりましたが、そこからの4年間は凄かった。うち3年間は、2003年…20勝3敗、2005年…16勝1敗、2006年…18勝5敗。合計すると54勝9敗と、とんでも無い数字。さらにこの間、14連勝以上を2度記録するなど、そのダイナミックな投げっぷりとも相まって、「エース」の称号が文字通り似合う投手でした。
「負けない投手」という部分では、防御率がリーグ最下位の6.26だったにもかかわらず、10勝7敗と勝ち星を先行させた2004年の数字は、逆説的にその凄さを表しているかもしれません。
数字だけでなく、実際に対戦した選手、さらにはダルビッシュはじめ他チームの多くのピッチャーからも、「印象に残る投手」としていの一番に名前が挙がる投手。また、2006年のプレーオフで、日本ハムを8回まで無得点に抑えながら最後サヨナラ負けを喫し、ズレータとカブレラに抱きかえられながらベンチへ戻る姿は、プロ野球史に残るシーンでもありました。


8位 星野伸之 (阪急・オリックス-阪神)

この投手は、少し意外に思われるセレクトかもしれません。
しかし、調子がいい時には、「これほど打ちにくい投手はいないのでは」と思わせる快刀乱麻のピッチングを見せてくれました。
183cm70kgと、プロ野球選手とは思えないほどの細身の身体ながら、最後の最後までボールの出所がわからないフォームから、130kmに届くか届かないぐらいしか出ないストレート、独特の軌道を描くスローカーブ、そしてチェンジアップのように見えるフォークを投げ分けバッターを打ち取る様は、「投げる芸術品」とでもいうような趣がありました。
例えば、初球、外角低めに、少しだけ落ちるフォークでストライク。続いて、外角のかなりのボールゾーンから、ストライクゾーンに切れ込んでくる90km台のスローカーブで、2ストライク。3球目は、130kmに満たないながら、身体に隠れた腕からいきなりボールが出てくるフォームのため、球速以上に速く感じるストレートを、外角のボールゾーンで見せる。4球目を待つバッターの頭のなかに、「次はフォークか、それともスローカーブか?」という疑心暗鬼が浮かぶなか、頭に無い内角のストレートを投げて詰まらせセカンドゴロ、といったような、まさにバッターを手玉にとる投球。
個性のある選手が揃うプロ野球界にあっても、唯一無二の存在感を見せた投手でした(11年連続二桁勝利、通算176勝という数字も素晴らしい)。


7位 田中将大 (楽天-ヤンキース)

「歴代○○」といった企画の場合、現役投手はなかなか入れにくいもの。ただ、やはり「24勝0敗」という、とてつもないシーズン記録を作ったこの投手を入れないわけにはいきませんでした。
24勝0敗1S、防御率1.27。ポストシーズンも合わせると、26勝0敗2Sという2013シーズンの記録は、果たして今後破られることはあるでしょうか。
なお、24連勝の間には、負けがつきそうな試合もありました。7月26日、9回裏を迎え、チームは1-2で1点ビハインド。しかし、そこからチームが逆転サヨナラ勝ち(最後は嶋のタイムリー)し、田中の開幕からの連勝は14に。シーズン後半になってくると、楽天が試合序盤にリードした時点で、もはや相手チームには諦めムードすら漂っていました。
逆に、7位という順位に留めたのは、シーズンを通して圧倒的な力を見せつけた年が2013年と2011年ぐらいであること、そしてMLBへ渡ってからの成績がまだ期待以上のものではないことが理由です(2年とも規定投球回到達ならず。2年通算では25勝12敗、防御率3.16)。
もちろん、MLBへ行った選手の場合、NPBより成績が落ちるのは致し方無いところで、日本人がメジャーへ渡ることが考えにくかった時代の選手と成績だけで比べるのは公平ではないとは思います。ただ、年齢的には、まだ28歳。今後への期待を込めて、現時点ではこの順位としたいと思います。


6位 ダルビッシュ有 (日本ハム-レンジャーズ)

こちらも、現役の投手。NPB在籍時は、2007年から5年連続、防御率1点台。さらに2009年を除く4シーズンは、200イニング・200奪三振をいずれもクリア。ストレートの球速と伸びもさることながら、スライダー、スプリッター、カットボール、カーブ、ツーシーム、チェンジアップなど、ほとんどの変化球を投げることができ、しかもそのなかで強弱をつけることも可能。
NPB時代は、自分から調子を崩さない限り、マウンド上で打者を“圧倒”する姿が印象的でした。また、2009年の日本シリーズ、故障を抱えながらも、立ち投げのようなフォームながら巨人打線を抑えて勝利投手になった投球には、その投手としての能力の高さに改めて驚かされました。
MLBへ移ってからの3年間通算は、39勝25敗、防御率3.27という数字。2015年は、故障によりメジャーのマウンドに上がることはありませんでしたが、それでも、2013年には277三振を奪い、両リーグでの最多奪三振を記録。
10代、20代と、その投手としての能力を如何なく見せましたが、30歳を迎える2016年以降、果たして、更なる“驚き”を見せてくれるでしょうか。


5位 村田兆治 (ロッテ)

ここで、少し時間が戻ります(^^)。
自分が記憶があるのは、大手術からの奇跡の復活を遂げてからですが、初めて見た時、その投げる姿には強烈な印象を受けました。ダイナミックなフォームと、「打てるものなら打ってみろ」と言わんばかりの“剛球一直線”のピッチング。
右肘を痛めてから3年、ほぼ2年間をリハビリに当て、迎えた1985年に1037日ぶりの勝利。この勝利が155球完投ということにも驚かされますが、そこからなんと11連勝。最終的に17勝5敗を挙げた“復活劇”は、その後のプロ野球を見ても、稀有な出来事と言えるでしょう。
しかも、この復活を果たしたのが36歳を迎える年。30代半ばで力がガクッと落ちる投手も多いなか、翌年以降も、145kmを超えるストレートと、バッターが思わず振ってしまうフォークボールを武器に、パワフルなピッチングを見せ続けます。
1989年には、39歳で最優秀防御率のタイトルを獲得。さらに、翌1990年には、40歳にして二桁勝利を挙げながらも引退したところに、「プロの投手」としての“美学”も感じました。
さらに、引退後も140kmを投げることに執念を燃やし続ける姿、また、フォークボールの握りを深くするために人差し指と中指の間に鉄球や一升瓶を挟んで鍛えたというエピソードなど、そのピッチャーとしての生き様も、“最強投手”と呼びたくなるところです。


4位 藤川球児 (阪神-カブス-レンジャーズ-高知-阪神)

プロ野球ファンのなかで、よく議題に上がる「歴代の投手で誰が一番速かったのか」。
自分が見たなかでは、やはりこの投手です。「火の球ストレート」という呼称が大袈裟に聞こえないぐらい、そのボールの伸びは抜群でした。
プロの名だたるバッターが、ストレートと分かっていて、バットに当たらない。ときには、「何でこんなボールを振るんだ」と思ってしまうぐらい、とんでもない高いボールを振ることも。90年代以降、「ストレートだけで抑えられた」唯一無二のピッチャーと言ってもいいかもしれません。
そして、そのストレートは、松坂世代の年にドラフト1位で入団したものの故障等に苦しむなか、「7年目にしてようやく自分のものとしたボール」というところに、また価値があります。
さらに、速球を武器にした投手は往々にして2~3年で勤続疲労を起こすなか、2005~2012年の8年間にわたってセットアッパー・ストッパーとして活躍したのも特筆すべき事項。
セットアッパーに定着した2005年には80試合に登板。翌2006年には、38試合連続無失点、47 2/3イニング無失点を記録。防御率は0.68、奪三振率は13.84。翌2007年にはストッパーに転向し、今もNPB記録である46セーブをマーク(登板は71試合)。2008年には、再び防御率0点台(0.67)を記録。「この時期にメジャーリーグに行っていたら、果たしてどうだっただろう」という思いもあります。その後は、多少変化球も交えたスタイルになりますが、それでも、2010年の2.01を除けば、防御率はすべて1点台。
その一方で、藤川には“悲運”のイメージもあります。リーグ優勝を果たしたのは2005年のみ。2008年、クライマックスシリーズ1stステージの第3戦、ウッズに全球ストレート勝負に行って、勝ち越し弾を打たれたシーン。引退試合の矢野に、最後のマスクをかぶらせることができなかった横浜戦。北京五輪や第2回WBCでは、直球に頼るスタイルがあまり通用せず、ストッパーの任は与えられませんでした。
それでも、その指から放たれる怖ろしいほどのスピンが効いたストレートは、今後もプロ野球ファンの脳裏にしっかりと焼き付いたまま、語り継がれるのではないでしょうか。


3位 上原浩治 (巨人-オリオールズ-レンジャーズ-レッドソックス)

今回選ぶにあたって、1位と2位は結構早めに決まったのですが、この3位は迷いました。
で、悩んだ末に選んだのが、この投手。
決して球速が速い投手ではなく、力でバッターを“圧倒する”投手でもありませんが、そのストレートの打ちにくさは、歴代の投手のなかでも、1・2を争うレベル。“野手投げ”とも評されるそのフォームからポンポン投げ込んでいくピッチングスタイル、そして数種類のスプリッターを投げ分ける投球は、MLBでも十分に通用、ついにはリーグ屈指のリリーフ投手までになりました。
数字的にも、NPBルーキーイヤーの1999年から20勝4敗という成績を挙げ(防御率は2.09)、2002年に17勝、2003年にも16勝をマーク。その後、30歳を過ぎたあたりから、足の故障もありリリーフに転向しますが、そこから現在まで、再び素晴らしい活躍を見せています。
そして何より、上原で特筆すべきは、与四球の少なさ。日本で先発として投げた8シーズン、与四球が30を越えたシーズンはゼロ(28が最多)。NPBでの通算与四球率1.20は、1000投球回以上の投手では、歴代最少。さらにMLB2年目からの6年間でも、与四球はシーズン最大で10。与四球率は、わずか1.50。
同時期にMLBへ渡った投手のなかには、思うような成績を挙げられない選手も多かったなか、2013年には連続打者アウト37人を記録。MLB通算の防御率も2.42と結果を残しています。
自ら崩れることはほとんどなく、しかもストライクゾーンあるいはその近辺にボールが来るのに、打球がヒットゾーンに飛ばない。バッターからすると、これほど厄介な投手もいないでしょう。
通算成績は目立った数字とはならないかもしれませんが、その驚異的とも言える“安定度”を考えると、この投手も球史に名を刻むべきピッチャーといっていいと思います。


2位 斎藤雅樹 (巨人)

80年代後半から90年代にかけてのプロ野球を見た世代にとっては、「最もその勝つ姿を見た」と言ってもいい投手。
まずは、なんといっても、1989年・1990年の連続20勝(89年…20勝7敗・防御率1.62・245イニング、90年…20勝5敗・防御率2.17・224イニング)の印象が強く残っています。その後、2年連続20勝を挙げた投手は出ていません。さらに、89年には、歴代の投手たちを上回る、11試合連続完投勝利という日本記録を達成します(この間、最大でも2失点まで。11試合の防御率は0.90)。91年には少し成績を落としますが、92年(17勝6敗)・95年(18勝10敗)・96年(16勝4敗)にも、最多勝投手に。さきの、89・90年を含む年間最多勝利投手5回は歴代最多でもあります。
とにかく、全盛期の斎藤は、特に自分のような大洋ファンなどからすると、とても点がとれる気がしませんでした。ゆったりしたサイドスローのフォームから力のある140km台中盤のストレートで瞬く間に追い込まれ、最後は、カーブのように一瞬浮き上がるスライダーで空振り三振。序盤にとらえない限り、中盤からは、リプレーのように打ち取られるシーンをただただ9回まで見続けるだけ。こう言ってはなんですが、相手チームのファンからすると、斎藤の投げる試合は、あまり面白くない。それほどまでに、好調時にはなす術がない投手でした。
ただ、この斎藤も、さきの藤川と同じく、2年目に二桁勝利を挙げた2年後には未勝利、一軍登板わずか6試合に終わるなど、一時はどん底を味わった投手。「ノミの心臓」と言われたそのメンタルに対し、復帰した藤田監督が「お前は気が弱いんじゃない、気が優しいんだ」と言ったというのは、有名なエピソード。90年代最強といってもいいそのピッチングは、プロ野球界でも稀に見る復活劇でもありました。
なお、そんな斎藤ですが、広島は苦手にしていたという印象があり、実際、登板を避けるケースもありました。97年、その広島を自由契約となりヤクルトに拾われた小早川に、開幕戦3本塁打を喰らったというのも、何かの因果を感じます。90年代前半から中盤にかけての圧倒的なピッチングを見る限り、200勝は間違いないと思っていましたが、この97年を境に徐々に成績が下降し、最終的に180勝で現役を終えることに。
それでも、沢村賞受賞3回というのは、杉下茂・金田正一・村山実と並ぶ歴代最多回数(しかも、1988年まではセ・リーグの投手のみが対象だったので、両リーグの投手が対象となってからの受賞という意味では、実質的な最多受賞者といってもいいかもしれません)。
さらに、勝率.652(180勝96敗)は、2000投球回以上の投手では、藤本英雄、稲尾和久に継ぐ歴代3位の記録。今週、ちょうど野球殿堂入りを果たしましたが、斎藤が初めて20勝を挙げた1989年は、ちょうど平成元年にあたる年。まさに、平成“最強”の先発投手と言ってもいいでしょう。


1位 佐々木主浩 (大洋・横浜-マリナーズ-横浜)

さて、1位です。
出てきたときに相手チームが『もうダメだ』と思う投手。その意味では、やはりこの人の右に出る者はいないでしょう。
誰がつけたか“大魔神”。150km近く出て、且つ外角低めにしっかりとコントロールされるストレート。そして、ワンバウンドにもかかわらず、打者が次々と空振りしていくフォークボール。
基本「野球に絶対は無い」と思って野球を見ているクチですが、佐々木にだけは「絶対」はありました。とにかく、バッターからしたら、ほぼ“ノーチャンス”。バットが出ないストライクゾーンぎりぎりのコースに140km中盤の重いストレートを投げられる。投げた瞬間ストレートに見えるフォークは、バットを出した時はワンバウンドでキャッチャーミットの中へ。さらには、ものすごく落差の大きいカーブのような、“ストライクを取れる”フォークもある始末。
なお、佐々木の凄さを改めて感じたのは、メジャーリーグから横浜へ復帰した最初のシーズン、甲子園での阪神戦。この頃はすでに全盛期の勢いは無かったのですが、シーズン序盤、まだ無失点を続けていた時期。9回裏、前のピッチャーがピンチを迎えたところで、場内に「ピッチャー、佐々木」のコール。その瞬間、甲子園中の阪神ファンから溜め息が漏れました。まるで「佐々木登板=試合終了」とでも言わんばかりの反応。
その甲子園で、38年ぶりのリーグ優勝を決めた98年、そしてその前年の97年の成績は出色でした(97年…3勝38S・防御率0.90、98年…1勝1敗45S・防御率0.64)。97年の奪三振率は、なんと14.85!(60イニング99奪三振。2015年のサファテをも上回る)。
ただ、ボールの勢い的には、故障から復活した翌年の95年が最も凄かったのではと思います。さきの藤川ではないですが、果たしてこのときにMLBに行っていたら、さらに凄いインパクトを残したのではないでしょうか。
また、もう一つ、佐々木の特筆すべき点としては、ストッパーという過酷なポジションを、91年~2002年という長きにわたって務めたこと(00~02年はマリナーズにて。94年・99年は、故障のため一時離脱はしましたが)。
キャリア途中からは1イニング限定での起用になったことで、長くストッパーとして活躍できたという側面もありますが、ストッパーとなってから数年目までは、複数イニングを投げることも結構ありました(延長含め計4イニング投げるなんてことも)。
NPBで439試合・252セーブ、そしてMLBで228試合・129セーブ。
残した数字も凄いですが、そのバランスのとれたフォームから、バッターに“手も足も出させない”ピッチングは、自分が見てきたなかで、文字通り“最強の投手”でした。

※「歴代最強投手 追記

by momiageyokohama | 2016-01-22 02:50 | 野球(全般) | Comments(0)

「読んだ方が野球をより好きになる記事」をという思いで、20年目に突入。横浜ファンですが、野球ファンの方ならどなたでも。時折、ボクシング等の記事も書きます。/お笑い・音楽関連の記事はこちら→http://agemomi2.exblog.jp/


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