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「盛田幸妃」というプロ野球選手

盛田幸妃が亡くなった。

訃報記事に掲載された経歴紹介では、「横浜(大洋)時代は、佐々木とともに“ダブルストッパー”として活躍。シュートを武器にした強気のピッチングは、あの落合をして『最も嫌な投手』と言わしめた。その後、近鉄にトレードとなったが、脳腫瘍を発症。選手生命の危機に瀕するも、そこから復活を遂げ『奇跡のリリーバー』と呼ばれた…」というところが、大方の内容だったと思う。
ただ、古くからの大洋(横浜)ファンにとっては、ちょっと食い足らない紹介にも感じたのではないか。

盛田投手は、1987年ドラフト1位で、函館有斗高校から入団した(ちなみに、最初に大洋が1位指名したのは長島一茂であったが、抽選でヤクルトに敗れたため、外れ1位での指名)。
スラリとした長身から投げ下ろされるボールに、スカウトは魅力を感じたのだろうが、当時は、北海道の高校は甲子園に出てもほとんど勝てなかった時代(盛田も、3年夏に甲子園に出場しているが、1回戦で沖縄水産に敗退している)。
また、当時の大洋のドラフト1位投手は、ほとんど活躍していなかった(中山は除くとして、初勝利まで9年を要することになる友利。通算1勝に終わった竹田。一軍デビューの駒田に満塁本塁打を喫した右田。他に広瀬新太郎や大畑徹etc)こともあり、個人的にはそこまで期待をしていなかった。むしろ、3位で入団した甲子園優勝投手である野村弘(のちに弘樹)への期待の方が大きかった記憶がある。

その予想どおり、というか、入団後数年間は、一軍では打ち込まれる試合が続いた。入団3年目の90年には、この年から就任した須藤監督の期待を受けて、開幕2戦目の先発に抜擢されるも、一軍に定着することはできず。初勝利を挙げるのは、入団4年目となる翌91年である。

しかし、入団5年目の1992年。シーズン途中から、勝負かかかっている場面での中継ぎ登板機会を増やしていった盛田は、覚醒を見せる。
52試合で131 2/3イニング。中継ぎ投手ながら規定投球回に達し、最優秀防御率(2.05)を獲得する(当時は130試合制だった)。また、14勝も挙げているが、この数字は、いかに当時の大洋先発陣が脆弱だったかの表れとも言える。
なお、この年、前年中盤から抑えに定着した佐々木主浩が、最優秀救援投手(33セーブポイント)を獲得している(※入団は盛田の2年後だが、学年としては盛田より2年上)。

見事な活躍を見せた盛田だったが、1年の活躍ではまだまだ本当の実力とは言えず。チームも大洋から横浜に代わり、投手陣を引っ張るさらなる活躍を、と期待した翌93年だったが、あろうことか、自主トレ中のテニスで右膝靭帯を損傷。その影響もあってか、22試合登板で防御率6.39と、惨憺たる成績に終わる。

迎えた94年、登録名を「幸妃」から「幸希」に。
チーム状況としては、シーズン前に佐々木が右肘を手術し、前半戦絶望。
その代役を担ったのが、復活した盛田だった。前半戦はストッパーとして活躍。佐々木の復帰後は、今で言うセットアッパーに。シーズン通しての防御率は、2.48。8勝4敗16Sという成績を残し、脆弱であった横浜投手陣を大いに支えた。

95年も、セットアッパーとして活躍。防御率は、前年を上回る1.97(8勝4敗5S)。
佐々木も、この年は、防御率1.75(前年は、シーズン中盤からの登板ではあるが、2.15)。
この94・95年の2年間の「盛田・佐々木」リレーは、他球団の選手・監督にとっても、またファンにとっても、かなりの脅威だったと思う(監督的には、近藤昭仁監督の2・3年目にあたる)。

そして1996年、新たに就任した大矢監督の方針で、盛田は先発に配置転換となる。
もともとは、先発投手として期待されていた投手だけに、「チームが上を目指すにあたって、ぜひ、横浜投手陣を引っ張る先発の柱に」と思う気持ちもわからなくはなかった(このとき、まだ26歳)。
ただ、短いイニングで瞬間瞬間のマックスの力を出す中継ぎと勝手が違ったのか、先発転向1年目は、なかなか結果を残せなかった。開幕投手こそ務めたものの、最終的には、5勝9敗。防御率5.43。
翌97年は、さらに成績を下げ、1勝7敗(2S)、防御率5.31。
内角球への抜け球も目立ち、危険球で退場となった試合もあった。
97年は、シーズン後半、チームが快進撃を見せ、数年ぶりの優勝もあるかと思わせたシーズンであったが、その輪にはほとんど入ることなく、シーズン後、近鉄へトレードとなる(中根仁との交換トレード)。名前も再び「幸妃」に戻した。

近鉄では、再び中継ぎとして登板。当時の近鉄のブルペン陣は、大塚晶文がストッパー。他に、酒井弘樹、西川慎一、柴田佳主也といったあたりが、ブルペンを担っていたが、そのなかで32試合に登板。防御率も2.91と、その前の2年に比べれば、比較的安定した投球を見せる。
しかし、周りの気づかないところで、身体に違和感を感じての投球であったことが、後にわかる。夏場に登録抹消となり、検査の結果、脳腫瘍が発覚。9月に大手術、そして10月に、ようやく退院。皮肉にも、その頃、古巣の横浜は38年ぶりの優勝に沸いていた。

退院はしたものの、身体には麻痺が残る状況。プロ野球選手としての復活を考えると、体験した者でないと、とても想像できない苦しみがあっただろうが、翌99年最終戦で、一軍への復帰を果たす。
ただ、翌2000年も、一軍登板はわずか3試合。98年中盤から2000年の間に一軍のマウンドに上がった数が、わずか4試合というところにも、その復活への道のりの大変さが見てとれる(二軍登板は、99年…6試合、2000年…20試合)。
2000年オフには戦力外通告を受けたが、大減俸を呑んで、現役を続行する。全盛時1億円近くまであった年俸は、1600万円まで下がったとのことである。

迎えた2001年、盛田は34試合に登板する。6月には3年ぶりの勝利も挙げる。
その闘病からの復活は、多くのプロ野球ファンの心に届き、オールスターの中継ぎ投手部門1位にも選出。最終的に、自身のシーズン防御率は7.06ではあったが、この年、近鉄は、2年連続最下位からの優勝を果たす。
そして、翌2002年、14年間の現役生活を終える(32歳での引退)。

その後は、主に解説者として活動。古巣・横浜の試合の解説でも、よくその声を耳にした。
分析的な解説というより、その場面場面での選手たちの心情を推測しての、人間味のある解説をしていたように思う。
必ずしもいい形での横浜退団ではなかったものの、古巣である“横浜”に「なんとか強くなってほしい」という思いが伝わる解説でもあった。
また、引退しても、(大洋のときの、ちょっと胡散臭い鼻髭姿ではなく(^^))、現役時代の髪をなびかせて颯爽と投げていたときのスマートな佇まいのままだったのも印象的である。

ただ、36歳で再び、脳腫瘍が再発したとのこと。
近年の状況を知らなかった人は、今回の訃報を聞いて「病気を克服したと思っていたのに…」と驚いているだろうと思うが、自身のブログでは、再発したことや、病気の経過についてたびたび触れており、その揺れ動く心を、ときに包み隠すことなく書いていた。そのなかには、「なんとか生きて来ました!!」という言葉もある。
(なお、プロ野球選手ではないが、 脳腫瘍との闘病を公表しながら活動しているミュージシャンとして、BOOM BOOM SATELLITESの川島道行がいる(こちらは、最初の発症から18年あまり))

盛田投手が取り上げられる際は、よく、『奇跡のリリーバー』として、「不屈の闘志で病気から這い上がった」といった紹介のされ方をするが、ブログに綴られた文章などを見ていると、病気との闘いというのは、そんな美談ばかりの状況ではないことがわかる。
2年ぐらい前だったか、久々に聞いた解説では、妙に愚痴っぽい印象も受けた。もしかしたら、思うに任せない自身の身体の状況と比して、今、やろうと思えばできるはずの選手たちが「やれていない」ことへのもどかしさやいら立ちがあったのかもしれない。
また、病気からの奇跡の復活という経緯から、「努力の人」という見られ方をすることもあるが、入団当初は、必ずしもそうした選手ではなかった印象もある。自身のことを書いた本でも、プロ入団後の、生意気、さらに、かなりやんちゃとも言える行動について、触れられている。
また、シュートを武器に、セ・リーグの打者を震え上がらせるピッチングを見せる以前は、マウンドで弱気な表情を見せることも少なくなかった。

そう考えると、「奇跡のリリーバー」というのは、当然、盛田投手の一面に過ぎず、プロ野球選手としての「凄い部分」も、「ドラマティックな部分」も、そして「非情な部分」や、ときには「情けない部分」も、ファンに見せてくれた、プロ野球選手だったと思う。

今回の訃報は悲しいニュースだけれど、「ご冥福をお祈りします。」といった、紋切型の言葉を書く気はあまり起きない。

ただ、「盛田幸妃」というプロ野球選手の存在を忘れることは、今後も、決してないだろう。
弱さを隠すためとも取れる、ちょっとええ格好しいな感じの笑顔とともに。


by momiageyokohama | 2015-10-18 23:40 | 横浜ベイスターズ | Comments(0)

「読んだ方が野球をより好きになる記事」をという思いで、20年目に突入。横浜ファンですが、野球ファンの方ならどなたでも。時折、ボクシング等の記事も書きます。/お笑い・音楽関連の記事はこちら→http://agemomi2.exblog.jp/


by もみあげ魔神
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