「野球場で応援する」ということ。「チームの勝利を本当に願う」ということ。
2015年 09月 01日
ただ、その日、Twitterのタイムラインで知ったのだが、9回表2アウトからのインプレー中に、山﨑の登場曲、ゾンビネーション(というか、正確にはゾンビネーションの「Kernkraft 400」という曲)のコールが起きたとのこと(奇しくも、前々回の記事で、2015シーズン、ここまでのなかで一番の登場曲と書いたが)。
その日はまだ家に帰れておらず、中継自体は見ていなかったのだが、そのことを聞いたとき、「『野球を見る姿勢』としては、アウトでは」と思った。
正直なところ、個人的には、「あと一球(or あと一人)」コールとかも、あまり好きではない。
もちろん、贔屓チームを応援する気持ちからのそのコール、という心情はわからなくはないのだが、「勝負は最後までわからない」というスポーツの大原則に照らし合わせると、そうしたコールは、相手に隙を見せているようにも取れる(レベル問わず、少しでもスポーツを真剣にやったことがある人、またはスポーツをよく観ている人は、そうした怖さを重々知っているのでは)。
また、7回表、相手側の攻撃時に、スタンドのあちこちで風船を膨らます音がピューピュー鳴っているのも、あまり好きではない。
7回裏の風船飛ばしそのものは、球場が盛り上がるし、いいとは思う。その直前に膨らませるには時間が足りないので、事前に膨らませておく、というのもわかる。
ただ、どうしても、球場のあちこちでピューピューなっている様は、「野球を観ている」光景には思えない。
たまに、7回表の攻撃が長くなって、膨らませていた風船がいくつか飛んでしまったり、「まだ終わらないのか」という雰囲気が球場に流れることがあるが、別に風船飛ばしに合わせて野球をやってるわけではないので、それで雰囲気が悪くなるのは、本末転倒とも言える。
翻って、さきのゾンビネーション(というより、繰り返しになるが「Kernkraft 400」が曲名(^^))の話。
先週金曜の、広島戦初戦の中継で、実際に、9回2死からそのコールが起きるのを見た。
一方で、攻撃側の広島ファンも、4点ビハインドながら、目一杯のボリュームで応援。さながら応援合戦のようで、ちょっと異様な雰囲気だった。
思ったよりは、ネガティブな印象は受けなかったが、果たして、グラウンドの選手たちはどう感じていたのだろうか。特に、マウンドの山﨑。
この試合は4点リードでの登板(先頭の松山にホームランを打たれて、最終的には3点差)だったが、これが、1点リード、しかし2死満塁などといった場面でも、このコールはするのだろうか。山﨑が、バッターをどう抑えるか、固唾をのんで見守りたいといったファンの気持ちはかなわないのだろうか。また、果たして、そのコールのなか、山﨑は集中して最後の一球を投げられるのだろうか。
自分自身も、たまにミュージシャンのライブに行ったりはするので、「騒ぎたい」気持ちというのもわからなくはない。ただ、その根本には「音楽を楽しむ」ことがあって、「ただただ騒ぎたい」と思って行くわけではない。
野球とて同じ。
もちろん、気持ちの発散ということで、応援する向きもあるとは思うが、あくまでも「『今そこで行われている野球』があっての応援」ということを忘れてはいけない。
今回の件について、横浜ファンのなかに否定的な意見が多いのを見てもわかるように、野球<応援という比重になってしまう応援は、同じチームのファンにも嫌な気持ちをさせることになるし、どんなに応援する気持ちがあったとしても、「野球を観ていない」応援と他の人にはとられる。
今回の件で、ちょっと思い出したことがあった。
38年ぶりの優勝を果たした1998年の前年の1997年。
シーズン後半から、連勝を重ね、迎えた9月のヤクルトとの首位攻防戦。
しかしその初戦は、「たかが数か月好調だっただけで、優勝などまだまだ早い」とばかりに、石井一久にノーヒットノーランを喰らう完敗となった。
続く第2戦は、終盤までもつれた展開となったものの、8回、土橋に勝ち越し打を許してしまう。
その後、9回、さらにヤクルトが追加点を挙げたところで、雨で中断。すると、優勝を期待した気持ちを裏切られたととったのか、横浜ファンから、メガホンやら何やらがグラウンドに大量に投げ込まれた(その様子は当時、ラジオで聴いていた)。
それまで、あまりこうした光景を見ることはない横浜ファンだったが、数十年ぶりに巡ってきたチャンスが遠のいてしまったことへの怒りが、この結果を生んだのか。
なんとも複雑な思いで、その光景の描写を聴いていたが、そんななか、野球史でも稀に見る事態が起こる。
横浜の選手たちが、ゴミ袋を持ちながら、そのメガホンやゴミを回収しに、外野フェンスまで歩いていく。そして、黙々と拾っていく。レギュラーの選手も控えの選手も問わず。
横浜ファンをしていると、「なんで横浜(大洋)ファンになったの?」と聞かれることがしばしばあるが、実際は「子どもの頃になんとなく…」といったところもあったりして、意外とハッキリした理由が答えられなかったりする。
ただ、このときは、「こうした選手たちがいるチームを応援してよかった」と思った。
(※この出来事は『4522敗の記憶』や、スポニチの「日めくりプロ野球」に、当時の舞台裏のことが載っている)
今年の盛り上がりは、若干、その1997年の終盤に似ていなくもない。
前半戦の快進撃に、「横浜優勝」が現実になることを期待した人も多かっただろうし、山﨑康晃は、その象徴とも言える存在であった。
ただ、「優勝」とはそんなに簡単にできるものではない、ということを、認識させられ続けられているのが、後半戦に入っての横浜DeNAファンである。
もっと言ってしまうと、経験として優勝というものの重みを知っているチーム、またファンは、そうそう簡単に「優勝」とは口にしないのかもしれない。
ちょっと、山﨑への応援コールから話が逸れてしまうが、翻って、今年の5月2日、ナゴヤドームでの対中日戦。
9回表、1-3のビハインドで、2死ランナー無し。
続く筒香も、内野ゴロでゲームセット…と思ったが、打球はショートの深いところへ飛んだため、内野安打。
そこからの5連打。しかも、殊勲打はまだ一軍で実績をほとんど残していない関根、というまさかまさかの大逆転勝ち。
この試合は、リアルタイムでテレビ中継を見ていたが、「もともと『あと一人』コールとかやらない横浜ファンだけど、こういう試合を肌身で経験した横浜ファンだからこそ、これからも『あと一人』的なコールはやらないままでいてほしいなあ」とも思った。
そこから4ヶ月経っての、現在の状況…。
「勝負事における『あと一人』の怖さを知る。」
「『優勝』という言葉を、簡単には口にしない。」
個人的には、そうした思いを持つファンが広がっていた方が、一見、遠回りに見えるものの、最終的には、本当の意味で「横浜の優勝を願う」ファンが増えることにつながっていく気もする。
そして、もう一つ。
「野球場での応援は、『野球』を大切にした応援であってほしい」



























