プロ野球 記憶に残る3試合(その3) ~西武編~
2013年 05月 29日
近鉄、ヤクルトに続いての3球団目は西武。
正直、自分のプロ野球の原点は西武と言っても過言ではありません。
ちょうど野球を見始めたのが、西武の黄金時代がスタートした時期でもあり、自分にとっては、「プロ野球と言えば巨人」という概念はあまり無く、プロ野球と言えば「西武ライオンズ」でした。
当時住んでいた地域が比較的西武球場に近く、かつ西武線を利用することが多かったということもありますが、ペナント、そして日本シリーズでも圧倒的な強さを見せつけ、さらに個性のある選手が揃ったチームカラー、そして格好いいホームゲームでのユニフォーム(ビジターのユニフォームは「う~ん」と思っていましたが)と、子どもの目からは非常に魅力的なチームに見えました。
自分のなかでは、「プロ野球=西武=西友の優勝セール=松崎しげる(わかる人にはわかると思います(^^))」という図式が、完全に成り立っていました。
そのあまりの強さに、中学ぐらいになると、逆に「アンチ西武」になるほどでした(「10.19」のときは、すでにアンチ西武)が、それほどまでに西武の強さはズバ抜けていました。
ちなみに、1982~1994年の13年間でリーグ優勝11回、そして日本一8回。
特に、1986~92年の7年に限って言えば、近鉄にわずか0.5ゲーム差で優勝を許した89年以外の6シーズンすべて日本一です。
20代中盤より若い野球ファンの方は、「憎らしいほどまでに強い(^^)西武」という印象は薄いかもしれませんが、とにかく「西武と言えば、日本シリーズ」ということで、今回の3試合はすべて日本シリーズから選びました。
1. 1983年11月5日 西武 vs 巨人 (西武球場) 〔日本シリーズ〕
日本シリーズでの初対決となった、巨人と西武の’83日本シリーズ。
第1戦は、田淵の3ランなどで西武が先勝。
第2戦は、西本が西武打線を完封し、1勝1敗のタイに。
第3戦は、巨人が1点ビハインドで迎えた9回裏、4連打を放ち、逆転サヨナラ勝ち。
第4戦は、点の取り合いのなか、立花が加藤初から逆転2ランを打ち、2勝2敗に。
第5戦は、クルーズが森繁和からサヨナラ3ランを放って、巨人が王手。
巨人の3勝2敗で迎えた第6戦が、まずは、記憶に残る1試合目の試合です。
ここまで6戦でサヨナラ勝ちが2度というシリーズを象徴するように、この試合も終盤まで勝負の行方がわからない展開となりました。
西武の1点リードで迎えた9回表、巨人が中畑のタイムリー三塁打で逆転し、日本一まであと1イニングというところまで行くも、その裏、西武が石毛のタイムリーで、再び同点に。
そして10回裏、江川が2死一・二塁というピンチの場面を背負い、バッターは代打・金森。
実は、まだ野球を見始めたばかりだった自分は、このとき、金森の存在をほとんど知りませんでした。ただ、なんとなく「バッティングフォームが、ちょこまかしている選手だな」と思った記憶があります。
正直、金森にはあまり期待をしていなかったのですが、なんと金森が放った打球はグングン伸びていき、レフト・スミスの頭上を抜けるサヨナラヒット!
喜びに沸く西武ナインと、表情を変えずベンチへ戻っていく江川。そのコントラストは、子どもながら、強く印象に残りました。
シリーズ全体を通してみても、第1戦での田淵が江川から打った3ランに始まり、その後のクルーズのサヨナラ弾や西本の熱投、そして当時はほとんど無名と言っていい金森のビッグネーム・江川からのサヨナラ打。
おそらく、あの日本シリーズを見たから野球ファンになった。そう言ってもいいほど、子ども心にインパクトのある日本シリーズでした。
ちなみに、最後の雌雄を決する第7戦も競り合いの展開だったのですが、この日は平日だったため、リアルタイムで試合を見られず、物凄く残念だった記憶があります。
結果を言ってしまうと、西武にとって0-2のビハインドの状況で迎えた7回裏、満塁のチャンスで、テリーが西本から走者一掃のタイムリー逆転二塁打。
「西武が初対決で巨人を下す」という結果に終わり、そうした意味でも、この日本シリーズは球史に残るシリーズだったと言えるかもしれません。
2. 1986年10月27日 広島 vs 西武 (広島市民球場) 〔日本シリーズ〕
西武にとっては、82年の中日、83年の巨人、85年の阪神に続き、セリーグ4チーム目となる広島との初対決となった86年の日本シリーズですが、初戦から延長14回時間切れ引き分けという波乱のスタート。
しかしその後、第2戦、第3戦、第4戦と広島が勝利し、西武が1勝もできないまま、広島が早々と王手をかけます。
迎えた第5戦も、西武が1点先制するも広島が追いつき、1-1のまま延長戦に突入と、西武にとっては重苦しい展開。
この均衡を打ち破ったのは、ピッチャーの工藤でした。広島のストッパー・津田から、サヨナラヒット(この年は、パ・リーグの主催試合でもピッチャーが打席に入るルールでした)。
ここから西武が第6戦、第7戦も獲って、3勝3敗(1分け)のタイに。
迎えた第8戦が、記憶に残る2試合目です。
西武の先発は東尾。広島の先発は金石。
文字通りの最終決戦となったこの一戦ですが、先制点は、なんとピッチャー金石の2ラン。
そのまま5回まで、広島2-0リードの展開が続きますが、6回表、秋山が起死回生の同点2ランを放ちます。
そして、この秋山のホームインの時に事件は起こります(^^)。
サードベースを回った秋山はヘルメットを取り、あろうことか、ホームベース前でバック宙。
そう、おそらく日本プロ野球初であろう、「バック宙ホームイン」です。
この後も、ペナント、日本シリーズ双方で、何度かバック宙ホームインを披露した秋山ですが、今考えても、ファンの想像を飛び越えたアイデアだったと思います。
なお、試合はその後、ブコビッチの決勝タイムリーで西武が勝ち越し、3連敗からの逆転日本一に。
そのあまりの強さに、「つまらない」と評されることも多かった黄金時代の西武ライオンズでしたが、実は、この秋山のバック宙をはじめとして、“華”を持っているチームとも言えました。
秋山・清原・デストラーデの豪快な打撃。石毛・辻の守備。平野、そして懐かしの羽生田の肩。ピッチャー陣は、工藤・渡辺久が躍動し、オリエンタルエクスプレス・郭泰源も。潮崎のシンカーは文字通り魔球でしたし、小さい頃は松沼兄・高橋直樹のフォームに衝撃を覚えたりもしました。
当時はCS放送も無く、西武のペナントの戦いを見ることができる機会も少なかった(時折、放送される土日のデーゲームぐらい)という事情もありましたが、もし今の時代であれば、さらに人気のあるチームになっていたかもしれませんし、そこまで「つまらない」と言われることもなかったかもしれません。
3. 1992年10月26日 ヤクルト vs 西武 (神宮球場) 〔日本シリーズ〕
86年に広島を下し3度目の日本一を果たした西武は、翌87年には巨人を4勝2敗、さらに88年には中日を4勝1敗で下し、3年連続で日本一。
89年は、わずか0.5ゲーム差で近鉄に敗れ3位に終わったものの、90年は2位に12ゲーム差をつけ、独走でリーグ制覇。そして、巨人を4タテで破り、6度目の日本一。
さらに91年も、奮闘する広島・川口を最後は打ち崩して、7度目の日本一。
そんな「セ・リーグに敵なし」ともいえる状況で迎えた92年の日本シリーズは、初対決となるヤクルトとの対戦となりました。
ヤクルト・野村、西武・森という、海千山千の監督対決に注目が集まったこのシリーズは第1戦、ヤクルト・杉浦のサヨナラ満塁弾というド派手な幕開けで始まり、その後も痺れる戦いが続きます。
第2戦は、好投の荒木から、清原が技ありホームランを放ち、1勝1敗に。
第3戦は、ヤクルトがルーキー石井一を立てるも、西武打線につかまり、西武が一つリード。
第4戦は、ヤクルト・岡林が奮投するも、秋山の一発に泣き、西武が王手。
ヤクルトとしては後がなくなった第5戦は、中盤から点の取り合いの展開となるなか、延長10回、池山が潮崎から、値千金の勝ち越し弾を放ち、なんとか踏みとどまります。
そして第6戦は、日本シリーズ史上に残る激戦。1点ビハインドで迎えた9回表、西武・大塚が、87年の日本シリーズでの清原・辻の伝説の走塁を思い起こさせる激走を見せ、同点に。しかし、10回裏、ヤクルト・秦が、チームを救うサヨナラ弾を放ち、ついに3勝3敗のタイに。
そして、「記憶に残る3試合」の3試合目として挙げたいのは、最後の第7戦です。
先発は、西武が石井丈。そしてヤクルトは、すでにこのシリーズ、2試合で20イニングを投げている岡林。
試合は、まず4回裏にヤクルトが1点を先制。そのまま、西武としては0-1の状況で試合が進みます。
迎えた7回表、西武がチャンス作り、バッターボックスはピッチャーの石井丈。ここで、石井丈が、センター飯田の頭上を抜くタイムリーを放ち、1-1の同点に。
しかし7回裏、今度はヤクルトが1死満塁のチャンス。ここで、代打杉浦の打球は、一・二塁間へのゴロ。これをセカンド・辻がなんとか捕って、振り向きざまホームへ送球。この送球が高く逸れるも、キャッチャー・伊東がジャンプして獲り、三塁ランナー広沢を本塁にてアウトに。結局、ヤクルトはこのチャンス、得点できずに終わります。
続く8回表、今度は西武が無死一・二塁のチャンスを作りますが、ここで四番の清原はショートフライで凡退。後続も倒れ、勝ち越しならず。すると、森監督は、まだ同点という状況にもかかわらず、この試合、指名打者が使えない関係でサードを守っていた清原を、守備固めの奈良原へと交代します。
試合の方は延長戦に入り、迎えた10回表、西武が1死三塁のチャンスを作り、バッターは秋山。ここで秋山が外角の変化球を態勢を崩しつつも外野に持っていき、これが勝ち越しの犠牲フライに。
そして10回裏、石井丈が、古田、広沢、そしてハウエルを三人で打ち取り、西武が延長戦4度の激戦となったシリーズを制しました。
王者・西武との初対決という状況下、ヤクルトの健闘が光った日本シリーズではありましたが、そんななかでも、最後の最後という戦いで、ピッチャーの同点タイムリー、ギリギリの状況での辻・伊東の守備、清原を試合途中で交代させるという決断、秋山の執念とも言える犠牲フライ、さらには、このシーズン、チーム一の安定度だった石井丈を3戦・7戦の先発に持ってくるピッチャーのマネジメントなど、西武の「王者としての底力」を見せつけられた試合でもありました。
ということで、日本シリーズの3試合を選んだ、今回の「記憶に残る3試合」。
その他で挙げるとするならば、さきにも書いた、伊原コーチの名を知らしめたとも言える、87年日本シリーズ第6戦での走塁。また、記憶に新しいところでは、渡辺監督初年度での日本一を決めた2008年日本シリーズ第7戦などが印象に残っています(なお、’82・’83・’85・’86・’87・’92・’93・’94年の日本シリーズは、Numberビデオ(DVD)で見ることができます)。
また、ペナントの試合となると、開幕戦での伊東の逆転サヨナラ満塁ホームラン(94年)、西口のノーヒットノーラン目前での巨人・清水からの被弾(05年)、デストラーデの日本ハム戦での逆転サヨナラホームラン(武田一浩から)(90年)などがあります。
あとは、80~90年代前半は、強すぎたがゆえに、逆に負けていた試合の方が印象に残っていたりして、当時、大洋から移籍した村岡がエラーをして負けた試合(おそらく90年)などは、大洋ファンとして居たたまれなかった記憶があったりもします(^^)。
いずれにしても、黄金時代からはもう20年近く経っていますが、西武には、やはり日本シリーズが似合います。
森監督以降の4人の監督もすべて監督として優勝しており、また、現在のパ・リーグの6球団の監督のうち、半分は西武出身というところに、黄金時代の名残が見てはとれますが、混戦となっている2013シーズン、果たして2008年以来のリーグ制覇を果たすことはできるでしょうか。
分かります(笑)。
子どもの頃の西友は、毎年こんな感じでしたね。
秋になると松崎しげるの、ライオンズの歌が店内に
流れまくってたのを思い出しました。
コメントありがとうございます。
まさに「流れまくってた」という感じでしたね。
「レイオ~ン ウォ~ウォ~ウォ~ レ~イオ~ン♪」の歌声は、20年経った今でも、耳にこびりついて離れません(^^)。



























