五輪閉幕
2012年 08月 16日
今回は時間帯もあって、あまりリアルタイムで競技を見ることができなかったのですが、個人的に感慨深かったのは、女子バレーの銅メダル獲得。
準々決勝の中国戦は激闘も激闘(28-26、23-25、25-23、23-25、18-16)で、最終セット、マッチポイントを握られたときは「日本、またもメダルの夢はかなわず…」という実況が頭をよぎりましたが、そこから追いつき、最後、ピンチサーバーの中道選手が2連続でサーブを決めてベスト4へ。
本当に紙一重も紙一重のこの勝負を制したこの瞬間には、スポーツの凄さと面白さと残酷さが詰まっていたように思いました。
よくよく考えてみると、子どもの頃からバレーボールを見てきましたが、これだけ人気スポーツである競技にもかかわらず、男女合わせてメダルの記憶があるのは、ロサンゼルス・オリンピック(1984年)の女子の銅メダルだけ。それもまだ子どもだったのでそこまで鮮明な記憶はありませんでした(覚えている選手は三屋裕子と中田久美ぐらい)。
その後は、中田、大林をはじめ、その他の代表選手も日立の選手が多くを占めた時代が長く続いた印象。
しかし、1988年のソウル・オリンピックでは準決勝、3位決定戦で敗れ、オリンピック史上初のメダル無し。
さらに時代が経つと、斎藤真由美、益子などのイトーヨーカドー勢が人気を集めた時期も。一方で佐藤伊知子など、渋いベテランもいましたね。
その後、時代は多少前後しますが、多治見、江藤、佐々木、福田、佐伯、鈴木洋美、大懸、吉原など、色々な選手が全日本のエースの座を担いますが、1992年のバルセロナは5位、1996年のアトランタは9位(この頃は正直、オリンピックでのバレーの印象は薄かった)。
そして2000年にはシドニー・オリンピック最終予選(日本開催)で敗れ、ついにオリンピックの出場権も逃す事態に。
このときは、「こんなことがあるんだ」という衝撃を受けました。
その後、柳本監督のもと、栗原、大山、さらには木村、帰ってきた吉原、そして最終予選敗退時のメンバーでもあった竹下、高橋、杉山、成田(旧姓=大懸)らも入った日本代表は、2004年、2大会ぶりのオリンピック出場権獲得。
柳本監督自身も、立て直しの功労者としてマスコミなどにも取り上げられることが多かったですが、2大会出場したオリンピックでは、2004年アテネが5位、2008年北京も5位と、その内容も含めて、メダルまでの距離はまだまだあるように思えました。
正直、万策尽きたかとも思ったのですが、最初その就任を聞いたときに「意外な人選だな」と思った眞鍋監督のもと、2010年に世界選手権で32年ぶりとなる銅メダル(日本開催ではありましたが)を獲得。
マスコミの過大評価だけでなく「内容」も伴って迎えた今回のロンドン・オリンピックで、ついに銅メダルという結果を残すことに。
ちなみに、眞鍋監督というと、息の長~いセッターという印象。新日鐵時代は、全日本のエース・中垣内や、現役時代から試合中も髪型が変わらない植田辰哉(現・日本男子代表監督)、その当時スポーツ選手でもみあげと言えば大徹かこの人と言われた(?)田中幹保らにトスを上げ続けていました。実際、36歳ぐらいで新日鐵を退社した後も現役を続け、40歳を過ぎまで現役続行。
その眞鍋さんが、女子の日本代表監督として、日本をメダルへ導くとは、6・7年前は想像もしなかったですね。
今後も、しばらくは眞鍋監督下での戦いが続きそうですが、その発言を聞いていると、世界で戦ううえで、さらなる対策も考えているようなので、その動向には注目したいところ。
こうなってくると、ここ5大会中、一度しかオリンピック出場権を取れていない男子も立て直しを期待したいところですが。



























