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プロ野球 記憶に残る3試合(その2) ~ヤクルト編~

前回の近鉄編に続き、今回はヤクルト編(1982~2012)。

実は、子どもの頃は大洋を応援するとともに、ヤクルトも好きでした。同じ首都圏の弱小球団というところにシンパシーを感じたからかもしれませんが、大洋とヤクルトが対戦するときは、どっちを応援していいか本気で迷ったりしました。
その頃のヤクルトのメンバーは、水谷、渋井、渡辺、角といったあたり。ピッチャーは、勝ったのを見たことが無い宮本賢治とか、投げ方と顔が印象的な梶間とか、ちょっと新しいところで阿井など。あと忘れちゃいけない八重樫(小学校の掃除の時間は、よくほうきをバット替わりにしてマネしていました(^^))。その他、君波、玄岡、高仁など珍しい苗字が多いのも当時のヤクルトの特徴でした。
その後、ヤクルトが強くなるともに、ファンである球団が大洋に一本化されていきましたが、フジテレビの中継での、まだシンプルに打率とホームランしか表示されなかった時代(「渋井 .231 1本」といったように)のヤクルト戦は、自分のプロ野球の原体験でもあります。


1. 1992年10月6日 ヤクルト vs 阪神 (神宮球場)

前々年の5位、そして前年の3位と来て野村監督3年目となった1992年のペナントは、そのヤクルト、そして亀山・新庄効果で急激な躍進を見せた阪神、そして巨人との優勝争いになりました。
なかでも、長い低迷期を経て14年ぶりの優勝を狙うヤクルトと、過去5年間で4度最下位だった阪神との争いはシーズンの最後までもつれました。

そして迎えた10月6日、神宮球場での対阪神直接対決2連戦の初戦。
ヤクルトの先発は岡林。阪神の先発は、この年、突如人が変わったかのようにコントロールが安定し、投手陣の柱となった仲田幸司。
試合は、両投手譲らず、0-0のまま終盤へ。
そして7回裏、ついに広沢がその均衡を破ります。仲田からバックスクリーンへソロホームラン。打たれた瞬間、仲田が頭を抱えるようなしぐさをしたのも印象的でした。
この1点を岡林が守りきって、ヤクルトがまず直接対決に先勝し、同率首位に。
さらに翌日の試合では、9回裏、1-3と2点ビハインドの状態から、ヤクルトがリリーフ湯舟の押し出し、飯田の三塁内野安打で追いつき、最後は荒井のタイムリーで逆転サヨナラ勝ち
結局、この神宮での直接対決に2連勝したヤクルトが、3日後の甲子園での直接対決にも勝ち、14年ぶりの優勝を決めました。
内容的には2戦目の逆転サヨナラの方が劇的な試合ではありましたが、それも初戦での広沢の値千金のホームランがあってこその連勝ということで、まずはこの試合を選びました。

なお、この激戦となったペナント(最後、阪神とのゲーム差はわずか2ゲーム)を制したヤクルトは、その後、90年代に4度リーグ優勝を果たすなど、優勝争いの常連チームに。一方の阪神は翌年4位に転落したのち、再び暗黒時代へと突入…。
いずれにせよ、ヤクルトが優勝を狙えるチームとして踏み出す幕開けの一発が、この広沢の勝ち越し弾だったといってもいいでしょう。


2. 1992年10月17日 ヤクルト vs 西武 (神宮球場) 〔日本シリーズ〕

最初に紹介した試合が、ヤクルトが常時優勝争いをするチームとなるスタートだったとすると、次に紹介する試合は、ヤクルトが日本一を争えるチームとなるスタートラインに立った試合といえるでしょう。
その幕切れはあまりにも有名な、杉浦代打サヨナラ満塁ホームラン
どちらかというと、弱い時代のヤクルトの主力というイメージの強い杉浦ですが、その選手が常勝・西武への挨拶代わりのような一発を放ったというのが、なんとも感慨深いものがありました。
セ・リーグのペナントを14年ぶりに制したヤクルトですが、日本シリーズでセの優勝チームをことごとく撃破してきた西武(’86広島、’87巨人、’88中日、’90巨人、’91広島とすべてセのチームを倒し日本一)と互角に戦えるかは未知数でした。
そのカギとなる第1戦。ヤクルトは先制を許すも、その後逆転。しかし、西武も9回表に同点に追いつき、試合は延長戦へ。
そして迎えた12回裏、1死満塁から代打杉浦が、鹿取に簡単に追い込まれるも3球目をライトスタンドへ叩き込んで決着。
「惜しい試合」で終わらずにヤクルトが勝ち切ったことで、この日本シリーズは俄然面白いものに。詳細はここでは省略しますが(NumberからDVDが出ています)、自分が見てきたなかでも、1、2を争う中身の濃い日本シリーズでした。
なお、この試合でも先発した岡林は、12回を一人で投げ切り(161球)、勝ち投手に。その後、第4戦、第7戦も投げ抜き、ある意味「岡林の日本シリーズ」といってもいいシリーズでもありました。


3. 1993年6月9日 巨人 vs ヤクルト (石川県立野球場)

「過去の投手のなかで何年の誰が最強か?」という話になったときに、話題に上がる一人がルーキーイヤーの伊藤智仁ではないでしょうか。
規定投球回には届かなかったものの、14試合109イニングで7勝2敗、防御率0.91。奪三振126はイニング数を大きく上回り、完封も4つ。故障によりシーズン半ばで離脱してしまいますが、その圧倒的な成績で新人王も受賞しました。
150kmを超えるストレートと、プロのバッターが腰を引いてスイングせざるを得ない高速スライダー。その凄さが存分に発揮されたのが、石川での巨人戦でした。
この日も、高速スライダーを武器に巨人打線から三振を奪いまくり、セ・リーグ記録となる16奪三振を達成。
しかし、味方の援護もなく、迎えた9回2死、篠塚に高目のストレートをライトスタンドに運ばれ0-1サヨナラ負け
打たれた後、マウンドにしゃがみこむ姿は、凄いピッチングを見せるもどこか「悲運」のイメージのある伊藤智仁を象徴するシーンでもありました。
その後、94・95年は故障で一軍登板無し。5年目となる97年に、リリーフとして復活し7勝2敗19S(防御率1.51)を挙げますが、その後はまた故障を繰り返し、2003年に引退。常に怪我と戦っている印象の強い投手でしたが、そのピッチングは今でも鮮烈な記憶として残っています。


今回挙げたヤクルトの3試合は、野村監督下で優勝を狙えるチームとなった92・93年が中心になりましたが、他に印象に残っている試合というと、'97年、首位攻防戦で、ひさかたぶりに優勝争いに絡んだ横浜を、石井一久のノーヒットノーランという形でねじ伏せた試合。また、まさに“完全燃焼"という姿で現役を終えた池山の引退試合('02年)が印象に残ります。
なお、「あの試合も印象的だったのでは?」と思われる1試合については、別の球団のときに紹介します(^^)。

次回は、西武編の予定です。
by momiageyokohama | 2012-06-03 22:02 | ヤクルト | Comments(0)

「読んだ方が野球をより好きになる記事」をという思いで、21年目に突入。横浜ファンですが、野球ファンの方ならどなたでも。時折、ボクシング等の記事も書きます。/お笑い・音楽関連の記事はこちら→http://agemomi2.exblog.jp/


by もみあげ魔神
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