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プロ野球 記憶に残る3試合(その1) ~近鉄編~

シーズン前に書くといっておきながら、PCが壊れてしまい、頓挫してしまったこの企画。
今回からスタートします。
最初は近鉄編(1982~2012)。

近鉄というと、“名試合製造球団”という印象がありますが、本企画の対象は自分が野球を見始めた1982年から現在まで。ということで“江夏の21球“で有名な広島との日本シリーズ(1980年)は対象外にさせていただきます。となると、大体「あの試合」と「あの試合」と「あの試合」が浮かぶ方が多いと思います。
おそらく2つはその通りで、もう1試合は違った角度から印象に残った試合を。


1. 1988年10月19日 ロッテ vs 近鉄 (川崎球場)

近鉄といったら、というより「記憶に残る試合」といったら、まずはこれしかないでしょう。
シーズン最終戦となるダブルヘッダー2試合を連勝すればリーグ優勝。逆に言えば、連勝しなければ優勝を逃す(さらには第1試合は9回での決着が条件。さらに第2試合にも時間の縛りが…)という究極の状態での最終決戦。
今見返しても、あらゆるところにドラマがある2試合なのですが、そのバックボーンとして忘れてならないのが、当時の西武圧倒的な強さ
1982年から「10.19」の前年の1987年までの6年間で5度の優勝、4度の日本一。シーズン中盤で2位に二桁のゲーム差をつけるなんてこともあり、投・打・守・走、そしてチーム力と、あらゆる部分で他のパ・リーグのチームを凌駕していたのが当時の西武でした。
実は自分は野球を見始めた当初は大洋ファンであるとともに西武ファンでもありました。地域として一番近いプロ野球球団が西武だったというのが大きかったのですが、小学校を卒業し中学校に上がる頃になると、あまりの強さに、逆にアンチ西武になるほどでした。だからこそ余計に、このときの近鉄の頑張りが心に残りました。

シーズン中盤、一時は8ゲーム差をつけられるも、終盤怒涛の連勝で、西武に肉薄。そしていよいよ、残り2試合でマジック2という状態で、ロッテとのダブルヘッダー。
「10.19」をダイジェストで振り返ると、第1試合の引き分け(イコール優勝ならず)間際の梨田の勝ち越しタイムリー、生還した鈴木貴久と倒れ込みながら喜び合う中西コーチ。第2試合、先制されながらも同点に追いつき、さらには吹石、真喜志という脇役の一発でついに優勝か。それでも同点に追いつかれると、今度はブライアントが勝ち越し弾。そして「後は託した」と送り出した阿波野が高沢に無情の同点弾。迫り来る4時間以上引き分けという時間枠。そんななかでの有藤監督の抗議。そして羽田、無念のゲッツーで、近鉄の優勝が消滅…。

おおまかに言うと、こうした流れだったのですが、当時の映像ビデオ版)をもう一度見てみると、その他にも数々の印象的なシーンがあります。
第1試合、梨田のタイムリー前の代走佐藤純一の走塁死(そしてその後の表情。ちなみに、引退後はパ・リーグ審判に)。勝ち越し後の9回裏、やっとの思いで逃げ切った吉井―阿波野の継投。そして第2試合の9回表、勝ち越し打かという三塁線の当たりを横っ飛びでキャッチしアウトにしたロッテ・水上のスーパープレー。

なお、最終的にこのシーズン、優勝した西武の勝率は.589。2位近鉄の勝率は.587。ゲーム差は0でした。
プレーオフ制度が定着した現在、もうペナントでのこうした戦いを見ることはないでしょう。そういう意味でも伝説に残るこの最終戦。20代前半、また10代の野球ファンの人にもぜひ見てもらいたい試合です。


2. 1989年10月12日 西武 vs 近鉄 (西武球場)

「10.19」翌年の1989年。パ・リーグの優勝争いは、またもや壮絶な戦いになりました。前年、優勝を争った西武近鉄に加え、この年、阪急から球団名が変わったオリックスも加わって、三つ巴の争いに。
それでも、西武からすると連勝すれば大きく優勝に近づくという状況で迎えた、近鉄とのダブルヘッダー。逆に近鉄からすると前年同様、絶対負けられない状況で迎えた西武とのダブルヘッダー。
第1試合、試合は西武優勢で進み、序盤で4-0。その後、ブライアントがソロホームランを打つも、西武が1点を追加し、近鉄からすると1-5。
しかし、6回表、満塁のチャンスでブライアントが郭泰源から起死回生の同点満塁弾。
さらにさらに8回表、リリーフで登板してきた渡辺久信の内角高めの速球をものの見事にライトスタンド上段に叩き込む勝ち越し弾。ブライアント一人で6打点叩き出しての6-5での勝利。
さらに第2試合、今度は高山(現:ソフトバンク投手コーチ)から4打席連続弾となる勝ち越しホームラン。この試合はリベラ、鈴木もホームランを放ち、結果14-4の大勝で西武5連覇の夢を打ち砕きました。
その翌日、オリックスがロッテに敗れたために、近鉄の優勝マジックが1に。その次の日、藤井寺でダイエーを破って、ついに近鉄が優勝を果たしました。

最終的に、上位3チームの勝率は、1位 近鉄 .568、2位 オリックス .567、3位 西武 .566。こんな優勝争いは、もうこの先も無いでしょう。
それにしても、今でも驚くのがブライアントのスイングスピードと飛距離の凄さ。昔の野球の映像を見ると、今と比べてスローな感じがしたりするものですが、今見てもブライアントのホームランは半端ないですね(特に渡辺久信から打った3本目)。
ちなみに、この激戦を制して出場した日本シリーズが、そう、かの加藤哲郎で有名な日本シリーズです(^^)。


3. 1990年4月29日 オリックス vs 近鉄 (西宮球場)

1989年オフに行われたドラフトは、のちに各球団の1位選手(さらには2位・3位指名の選手も)が軒並み活躍するという大豊作のドラフトでした。そんななか、史上最多8球団からの1位指名を受けたのが野茂英雄(阪神・ロッテ・ヤクルト・大洋・ダイエー・日本ハム・オリックス・近鉄が指名)。そして、見事交渉権を引き当てたのが近鉄でした。
翌年、シーズンが始まった最初の2試合では、それほど際立ったピッチングとはいえなかった野茂。しかし、プロ入り3試合目となるこの試合、ついにその力をプロ野球ファンに強烈に印象付けます。
当時、その強打からブルーサンダー打線と呼ばれたオリックスから、なんとプロ野球記録(当時)となる17三振を奪ってのプロ初勝利。
その前年、新聞の写真でそのフォームを見たときは正直「何だ、このフォームは?」と度肝を抜かれましたが、そのスケールの大きさに違わぬ鮮烈な初勝利っぷりに、プロ野球を代表する選手になっていくであろう、大きな期待感を抱きました。
残念ながら、近鉄時代の野茂の試合は、なかなかリアルタイムで見る機会が無かった(たまにやるNHKでの中継か西武戦ぐらい)のですが、近鉄のあのユニフォームでの、ホーム側から見ると背中の「NOMO 11」がまんま見えるあの足を上げたフォームは、今でも印象に焼き付いています。
その後、日本人がメジャーに行くという道を切り開いてくれた野茂。MLBでのデビュー戦も日本野球にとってエポックメイキングになった試合だと思いますが、プロ選手としてある意味第一歩を踏み出したと言えるこの試合も、プロ野球界にとって重要な試合と言っていいのではないでしょうか。


ということで3試合を振り返ってみました。ちなみに、ここでは挙げなかった「一般的には入るであろう3試合」のもう一つは、北川の「代打逆転満塁サヨナラ優勝決定お釣り無しホームラン」。これも、もはや今後起こり得ないだろう出来事だとは思いますが、この時点でほぼ近鉄の優勝が決まっていたことと、このシーズンは結構ホームランが出やすいシーズンだったということもあり、野茂の17奪三振の方を3試合に入れさせてもらいました。


思ったより長くなってしまったこの企画。次回はヤクルトあたりを書きたいと思いますが、いつになるかはまだ未定です(^^)。
by momiageyokohama | 2012-05-05 01:14 | 近鉄 | Comments(0)

「読んだ方が野球をより好きになる記事」をという思いで、21年目に突入。横浜ファンですが、野球ファンの方ならどなたでも。時折、ボクシング等の記事も書きます。/お笑い・音楽関連の記事はこちら→http://agemomi2.exblog.jp/


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